最期のことを思い出すのもまだ辛く、なかなか書けずにいましたが、明日が四十九日にあたるので、区切りとして書いておこうと思います。

※辛い内容が苦手な方は、お読みにならない方が良いかもしれません。

あじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさい


当直医と主治医からの説明を聞き終え、悶々としながらも、とにかく早く中へとICUに入ることになりました。

看護師さんから、
「口にチューブが入っていたり、点滴やら管だらけでビックリしてしまうかもですが...」と言われましたが、
「大丈夫です。
娘が生後1年NICUにいて、挿管も長い期間してたので、普通の人より見慣れてます」と言いながら中へ入りました。

もちろん、鎮静剤で眠っているとばかり思っていたら、動いてる??

かなり激しく動いてると言うか、暴れてるではありませんかガーン

手足はもちろん拘束されているので危険ではないのですが、まるで痙攣してるように動いているんですゲッソリ


しかも、私が声をかけると、動きがより激しくなり、目を見開きながら口をパクパク動かし(挿管されているので、もちろん声は出ませんが。。。)、何かを訴えようとしています。

完全に怒っています。。。
というか、怒り狂っていると言ったほうが良いかなえーん
 
先生に聞くと、鎮静剤は使っているが、眠れない様子。
これ以上使うと血圧が下がりすぎるので使えないと。

とにかく、「苦しいよね、ごめんね」とか「大丈夫だよ」とか声を掛けながら手足をさすっていましたが、なかなか治まらず。

私が近くに住んでないから、来てあげるのに時間がかかるせいで、最期の最期にこんなに苦しい想いをさせてしまったのかな?とか考えていたら涙は止まらないし、辛くて辛くてえーん

先生が言うには、心臓を動かす薬の効果が切れてきたら、再び心拍が弱くなり止まってしまうだろうと。
だったら、無駄に苦しい時間を長引かせるのは可愛そうで、とにかくせめて苦しいのを取り除いてあげたくて、血圧が下がるのは承知の上で鎮静剤を増やしてもらいました。

そして、徐々に痙攣はおさまりましたが、徐々に血圧と心拍も下がり、時折涙を流しながら、お昼前頃に、永遠の眠りにつきました。

あじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさい


とにかく、この1年3ヶ月。
父と共に頑張ってきたのに、最期の怒った顔と涙を流す顔の印象が強すぎて、脳裏から離れなくなってしまったことが、悔しくて、辛くて。。。

病院の霊安室に受け持ちだった看護師さんが来てくれて、最期について少し話したのですが、「私も今朝出勤したらICUにいるって聞いて驚いちゃって。私が昨夜いればそんなことにはならなかったんだけど。。。」と言っていましたえーん

最期、きっとすごく怒っていたと思うけど、今は許してくれているといいな。。。
そして、天国で母とビールでも飲んでくれているといいなと思います。

あじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさい

これで、父の闘病記事は終わりにしたいと思います。

闘病中はもちろん、このブログの更新途中にも、励ましや労いのLINEやメッセージを下さった方々、改めてありがとうございました。

皆さんからの優しい言葉に、救われました。

父も母も他界してしまい、実家もなくなり、姉も沖縄と遠方で1年に1回くらいしか会わないので、何だか孤独を感じ淋しく感じてしまいますが、自分の家族(主人と娘)を大事にして、過ごしていこうと思います。

本当にありがとうございましたクローバー