私の初体験は10歳。

20時頃に駅で雨宿りしていた時(父に追い出された)に
声をかけてくれた30代くらいの男性でした。



夫含む、極わずかな人にだけ
援助交際(今風に言うとパパ活?)
をしていた事を話しています。

勿論、気持ち悪がられましたし
かなり罵倒されました。
(夫はニュースでその系統の話題が出る度に
「買い手売り手両方死刑にしろよ」と言うくらい、水商売含むそういった行為が嫌いです)

普通の反応だと思います。

世間でも、そういう感じですしね。

「普通に働けよ」
→小学生の私には、他に稼ぐ手段が無かった(下着や生理用品は意外とお金がかかる)。
 高校生になっても援交を辞めなかったのは、扶養内の稼ぎでは学費(通学費等々含む)、消耗品、食費を賄えなかった(中学で不登校だったため、行ける高校が限られていて学費が高くついた)。
 家を出るために、18になるまでに貯金が必要だった。

「他に頼れる身内とかいなかったの?」
まだ、援交する前に「父から暴力を受けている」と身内や学校の先生や近所の人に相談した事があります。
その時に大人達は口を揃えて
「シングルファザーでお父さん頑張ってるのよ」「お父さんのおかげで貴女は生活できている」
「お父さんも、お仕事大変で疲れているから我慢してあげなさい」
「我儘言わないで、お父さんを支えてあげなさい」
「あんな良いお父さんで貴女は幸せ者よ」

そんな事を言われ続けていたので
幼い頃は私の環境は普通だと思っていたし、成長してから異常だと気づいても、どうせ誰も私の話を信じてくれないくらい
私の父は外面が良かった。

つまり、周囲の大人に「お金を貸してくれ」なんて相談したら
必ず父にその話がいく
→「恥をかかせたな」とさらに殴られる事になるので相談しなかった。


「親のせいにするな」
「親元(虐待)が嫌なら警察に行けばいいのに」
→親が普通に養ってくれてたら、身売りせずにすんだんですがね〜。

あと、警察に頼らなかった理由は、警察に頼っても意味が無いと思ったからです。

前回のブログにチラッと書きましたが
小学1年生の時から補導されまくりでした、近所の人に通報された事もあります。
ですが、何故か父が警察から何かを言われているのを見たことが無かったのです。
(多分父は、私が勝手に家出したと言っている)

そのため周囲の大人同様で、警察に相談しても無駄に決まっていると思っていた

「援交(パパ活)してて、男性に殺されたらどうするの!!?怖くないの?」

私は自殺願望はあっても、自殺する事が出来ない弱虫だったので
寧ろそれを望んでたくらいですね。
 運がいいのか悪いのか、優しい男性ばかりでした。
相手の男性に「私の事殺してもいいよ」と言ったこともありますが
実行する人はいなかったですね(笑)






上記の理由から、援交(パパ活)をしていた事に後悔はありません。

タイトルにもしましたが
援交(パパ活)が警察にバレて
調書を取られたことがあります
(相手の男性が、他の女性としてたのがバレて芋づる式に\(^o^)/)

あまり詳しくは書けませんが
1日8時間×7日間程かかりましたね(  ˙ཫ˙  )
パイプ椅子で腰が痛かった(笑)

婦警さんは、泣きながら私の話を聞いてくれていましたが
もう17歳だったので「こんな事で泣けるとかスゲーな」としか思わなかったですね。

勿論 親にも連絡がいきました。

一応今まで隠してるつもりだったので(笑)
どんな反応か楽しみにしていました

「被害届取り下げて、示談金貰うぞ」
予想のはるか斜め上をいきましたねwww
まぁ、別にどうでもよかったので
全て父にお任せしました。

7桁くらい貰ったらしく、割と満足気にしてましたよ〜

「お前でも役に立つことあるんだなw」
わー褒められたー嬉しいなー(棒読み)



最後に、援交をしていた1番の理由。

他者から必要とされたかった
からです。

死にたいけど、死ぬ勇気のない私は
生きる意味を探していました。
その結論が
誰かから必要とされることだったのです。

”お金を出してまで私の事を必要としてくれてる”
それが何よりも幸せだったのです。

当時、彼氏もいましたが
彼氏からの愛では足りなかったので辞められませんでした。
(愛は目に見えないが、お金は目に見える)

彼氏の事を愛してたか?と問われると自信が無いですが
「依存していた」とはハッキリ言えます。


まぁ、その激しく歪んだ性格も
親元を離れたら徐々に改善され

そんなハチャメチャな事はしなくなったし
したいとも思わなくなったので
もっと早く家を出ていればな…とは思っちゃいますね。