物心ついた頃から両親は不仲だった。





父が母に包丁を突きつけているのを泣きながら止めたこともあった。


私は母の事を親だと思っていなかった。
”親らしい”位の認識

幼稚園バスで登園していたのだが
母は不在か昼寝してるかで、週に2回程はお迎えが来ず
バスでそのまま幼稚園へ引き返し
夜になって父が迎えに来るのが当たり前だった



母にお出かけに連れてってもらった事もあったが
知らない男性と手を繋いでいたり
(私は「近くに寄るな」と後ろを歩かされた)

喉が渇いたと言えばお酒を飲まされ

ホテルに連れていかれて1晩過ごす事もあった(勿論知らない男性も一緒に)


外食の際の食事は
ハンバーガーの胡麻やラーメンの麺数本
おつまみの残り物等ばかりで、腹の足しにもならなかった


それ等は小学1年生の時まで続き
学校から帰宅後すぐ手ぶらで連れ出され、
登校時間ギリギリか遅刻の時間に帰宅するため、宿題が出来ておらず
よく先生に怒られた

(母は「自業自得だろ」と言うだけ)



そしていつの間にか母は家から姿を消した



父は「我が家の全財産を持ち逃げされた、家賃も払えない」と
滅茶苦茶荒れていた

母がいた頃は
「あんな母親でごめんな」
「俺はお前を愛してるぞ」(いってらしゃいのチューもあった)
と言ってくれていた優しい父が
豹変した瞬間だった


その日から私に対する父の当たりが強くなった
洗濯物、料理、掃除が出来ていないと叱られ殴られ外に追い出される様になった

警察に補導された事も何度もある


ピーラーやフライパンで大怪我をしても無関心
電子レンジでアルミホイルを熱してしまい、焦がしてしまった時は殴られた。
(当時7歳)

給食の際にナフキンやエプロン、マスクが必要なのだが、我が家にはアイロンが無かったので
いつもしわくちゃで(手で頑張って伸ばしてもマシになる程度)

クラスメイトからはバイ菌扱いされ
教師からは”非常識”と叱られた。


ある日ついに連絡帳に書かれて、我が家にもアイロンが導入されたものの
使い方がわからず、火傷した事もあった。



何か失敗したり、反論する度に
「出てったクソ女(母)にそっくりだな」
「お前は生きてる価値がない」
「ゴミの方が役に立つ」
「早く死ね」と言われた


こんな父だったので生理や下着の相談が出来ず
トイレットペーパーを大量に使用したり、友達が使わなくなった下着を貰ったりしていた。

大人に身体を提供して、お金を稼ぐ術を知ってから
身嗜みを整えられるようになったのは黒歴史だ。



中学に入り突然学校が怖くなり、不登校の友達の家やおじさん(今風にいうとパパ)の家を点々とするようになった


勿論、学校から父に連絡が行き滅茶苦茶に殴られた


中2の時に耐えかねて




「もう生きたくない。死ねと言うなら殺してくれ。親として責任を取ってくれ」

と土下座して言ったが

「お前を殺して刑務所に行くとか阿呆らしい(笑)死ぬなら勝手に死ね。俺に迷惑をかけるな」と鼻で笑われた




2歳下の弟がいたが、高校生になっても
時間割を揃えてもらっていたくらい甘やかされていた(勿論家事なんてできない)

「お前はあんなゴミ女になるなよ」

とよく言い聞かせていたため
弟の事も苦手だった。



結局 自殺をする勇気が無いまま成長し
バイトや縁(パ○活)でお金を貯めて
高校を卒業と同時に家を出た