「一人行棒 一人行喝 総不親」…
ひとりはぼうをおこない ひとりはかつをおこなう すべてしたしからず
坐禅のとき、姿勢が崩れたり、妄想に取り憑かれたりすると、警策という棒で肩や背中を打ち、修行者に教えを与えます。
また叱咤するために「喝」と大きな声をかけます。その棒と喝。
どちらがよりよい教えなのかなど、決めつけることはできません。
この世のすべては、どちらが正しくて、どちらが間違ってると断定するのは難しいもの。
人は見解の幅がせまくなればなるほど、自分の答えを絶対視しがちですが、あなたとは違う正しさをもつ人がいるということを忘れてはいけません。多様性を尊ぶとは、互いを認め合うことなくして成り立ちません。
自分が若い時はこうだった!が通じない
今の時代に合わせなきゃということが
時々…ん~って思う事があります。
だけどこうだったからじゃなくてのところをしっかり受け入れなきゃと思う事がたくさんあります(笑)
もう少し仕事をしていたいから時代に合わせていかないと…ね