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この頃感じていることを書いてみます。
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タイトル 『中庸』
背伸びをすれば頭を叩かれ、
しゃがんでいれば尻を蹴られる。
こんな一節を聞いたことがある。
「出る杭はうたれる」ことと「鶏口牛後」のジレンマを上手く表現している。
人の上に立って何かをしようとするが、周りの目が気になる。
でも上に立つ以上行動をしなければいけない。そんなことがよくある。
世界史を勉強して先人の例を見ていると、この辛さがよくわかる。
全600年頃にエジプトにアッシリアという国が誕生した。彼らは広い地域を治めるために、
重税を課し、非征服民を強制移住させた。結果は見えるだろう。
反乱が多発しこれはすぐに滅んでしまった。
一方2世紀の中国には秦という王朝があった。前半は良い政策を打ち出し、内政・外政ともに安定し200年ほど続いた。この後に別の王朝に滅ぼされるが、再び秦を作り上げた。しかし、後半期はたいした外交や政策を行わずに地方豪族が台頭し、わずか15年で滅んでしまった。
何をすれば全員に支持されるのか。本当にそんなことはあるのか。
光の見えないトンネルを歩いている。が、進んでいるのか戻っているのかわからない。
「暗中模索」とはこのことを言うのだろうか。
またこんなことも思った。
「100人いたら必ず100人に一致する『常識』ってあるのか」
先日こんな記事を見た。
今年入った新入社員が、始業の5分前に出社したところ上司に怒られたと。
上司「普通は30分とか1時間とか前に来て準備をするだろう」
新米「時間に間に合ってるんだから悪くないじゃないですか」
上司からすれば「準備をして始業を迎えるのが『常識』」 新米からすれば「時間通りに間に合えば良いのが『常識』」
どちらも間違っていない。正しく言うならば、完全には間違っていない。
お互いの言い分のどちらも筋が通っている。
でも、よく考えてみるとこの2人の意見が食い違っている時点で、もはや 『常識』というのは存在しないのではないか。何を基準に2人は『常識』と言っているのだろうか。
だから、自分の意見を当たり前のように押し通し、相手の考えを真っ向に否定するのはどうなのか。
聴く耳を持たずに批判するのは幼稚ではないか。
『常識』を考え直すのもまた面白い。
最後に。
「沈黙は金」とは本当か。
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ストレスが限界に近づいてきたので憂さ晴らしに書いてみました。
あくまでも独り言です(笑)


