私は、結婚に対して、縁がないと思っている。

形にこだわらなくてもいいかな〜とも思ってる。

既婚者の方に対しては、お相手を受け入れる事ができて、すごいと思っている。

自分が幸せになる相手を見つけたと、自分を信じられてる事でもあるから、すごいと思っている。


『結婚』が、人生という道の先に、見え隠れした時にイメージしてる事を思い出した。

それは昨今、デリケートな問題にすぐなるであろ、性別に対しての、自分自身が持っている固定概念だった。

今だから言語化できている事だ。

結婚してない自分を、誰かに説明しないといけないプレッシャーを勝手に感じる場面があるが、より核心に近づいた感覚だ。


結婚前提の紹介があると、

「私は見た目が地味で、家事や人のお世話を苦にせずしそう、と思っているから、そういう話を私に持ちかけたんだろう」と自動思考していた。


『お世話』、これに対して、私は思っている。

結局は、女性がしないといけないんでしょ。と。

それができないと責められるし、自分はダメだ。となるでしょ。と。

だから、がんばってやる選択しかないでしょ。と。

そしたら、無理してがんばって、窮屈になって、そんな生活は、いずれ終わるでしょ。と。

始めから、終わりを感じる結婚には、踏み込まないでしょ。と。


もう一つ気づいたのが、自動思考で、自分の方が負担が大きい未来を想像している。なんで、「してもらって楽になる」イメージがわかないんだろうと思う。


好きな人には自然と、そして結果的に、世話をやいてたり、したいと思って、そうしてる自分になってるものでしょ。と思ってる。

一緒に食べたいから、ご飯作る〜😁とか、大変そうだから何か力になりたい〜💪とか。

ご飯作ってもらったり、甘えて幸せ感じる未来を想像できてもいいはずなのにね🙄


結婚した方が、できる事が多いからとか、満たされた気持ちで居られるからとか、良いイメージができるお相手なら、そちらの方向に進んでいくんだろうなと思う。


七夕だからかな、考えてしまうのは。

「一年に一度しか会えない」と思うから、切なくて素敵に感じるんだろうな〜。一年間ずっと相手を恋しく思い、たった一日会うことができるという状況が。


見方を変えれば、一年に一回、会えるだけでも羨ましいと思ったり、一年に一回会わなくてはいけないのが負担、と思う状況だってある。

自分を好きでいられる、相手との距離感で、いいんじゃないですか😏


おわり🎋