やさしさ  って何かなって混乱する時がある。

最近だと…


私と同じような立場の人が、私が思いも寄らない事に気づいてあげて。

私が追いつかないスピードで、手を差し伸べてあげて。

私が、そこまでしてあげなくても…と思う事をしてあげて。

それは何かと言語化すると、私には無い、やさしさなんですね。


やさしさって、やさしさを受け取った人が良くても、やさしさを提供した人の、周りの人がしわ寄せを被る場合もあったりして、本末転倒になりやしないか、念頭に置いておく必要もあると思ってるんです。



私が誰かにした事や、誰かに対して思っている事を、第三者に話した時に、「やさしい」と言ってもらえたりする事もあるんですね。

でも、私からしてみれば、単に「やさしさ」からの行動や思いでなかったりする事もあったりして。賞賛であろう言葉を、額面どおり受け取りがたい気持ちになったりする。



その原因は解明できつつある。

自分は、なんてやさしくない人間なんだろうかと、気落ちするかもしれないが、この時点ですでに、やさしくない自分と向き合わなければならない。



それは、人目を気にしてるんですね。

気づいていて、してあげるべきだと分かった上で、行動を起こさなかった自分の事を、あの人が知ったら軽蔑されるんじゃないかという恐れ。

自分のリズムを崩して、自分をすり減らしてまで、誰かの力になろうとすると、始めは何ともなくても、時間の経過によって、自分にとって大きな負担に変わっていく可能性があるし、悪化すると、助けたい相手だったはずなのに、憎む可能性だってあると考えてしまうんですね。…で、距離をとって、してあげれない事が続いて、そしたら、「始めはしてくれてたのに、だんだんしてくれなくなったなぁ💧」と、相手をがっかりさせてしまう。

だからやっぱり、自分の余った分のエネルギーしか注げない、となるんですね。

始め調子よくて、尻すぼみだと、私のポリシーに反するんですね。




あと、自分の罪悪感を減らしたいが為だったり。


これだけは私やったよ!と自分を納得させたいが為だったり。


好意や、感謝を伝えたいが為で、相手の気持ちは度外視で、ただ単に自分がしたかっただけだったり。


譲った方が揉めないで、精神的に楽と感じそうとか。


人聞きが悪いと思いつつ、一つ挙げると、やさしさの先出しとか(恩を着せておこうみたいな見え透いてる感じ)。

公正を期すため言うと、純粋にやさしい部分は、私にもあるとは思うんです。

でも実際、色々あります。

一見、「やさしさ」に見えて、その実それだけでない事。

だったら、後先考えず、行動を起こせるのが、最強のやさしさなんだろうか?


ポイントは、許容範囲と境界線をどこで引くか、という点かな~と思っているが、どうかな~。


内観すると、やさしい人が偉い概念。やさしい人と思われていた方が面倒くさくない強迫観念。が見え隠れしている。


おわりふとん1