どうもヲタ株です。

釈迦さんの話を見てたら、みんなこんなにも幸福について考えてないのかと思い少し書きたくなりました。

同時に皆幸せなんだなと思いました…

幸福について昔考えてたことあったのでここで書こうかなーと思います。


幸福とは

まず自己生存、自己保存、種の保存の実行。

次に接種、経験による脳内物質の分泌(カフェインとか、初めての遊び等)。

あと中毒症状(脳内物質の分泌経験を元に)の実行。

今よりそこに近づいた時幸福を感じる。


食事が美味しいのは糖分、脂質によるカロリー取得、栄養取得による自己保存、飢餓状態からの脱却による自己保存。


人によって感じ方は当然違う。それはメッシや大谷翔平と一般人がいるのと同じで、天と地ほど、欲求に対しての感受力とでも言うべきものが違う。(欲求は肉体的欲求→栄養、精神的欲求→ストレス解消とか、中毒的欲求→糖分など、中毒的欲求は意識して避けられる)


当然生きていることに不幸感じる人間もいる。生まれた時から満たされた生活をしているのにそれ自体に不幸を感じる人。サイコパスといえる。


何も望まなければ幸せも不幸せもない。

ただ真に悟れればおそらく死

故に生きる人は幸せと不幸せの上で揺らぐしかない。

人は何も望まなくなった結果死を選ぶのかも。

釈迦さんは幸福は比較で生まれるかどうかでずっと話していましたが、幸せとは生存本能(種の保存)が満たされる=過去よりも現状がそこに近づくことで生まれる。

そう考えると人生の絶頂は子供が生まれた時、そこからは子どもが亡くなる、など起こらない限り死ぬまで幸せのはず。死ぬ時子供がいなければ不幸せ、子供が居れば少し不幸せ。

うーん自分の幸福のために子供欲しいって話。みんな気づいてないだけでそうなのよ。たぶん

みんな幸福を求めることに才能がある。

だからいろんなことに気付かない。

自分からはそう思います。みんなは行きたいように生きれば幸せになれる。

なれない人は幸せを追い求めて毎日行きましょう。

今日も一杯70円のコーヒーが飲めて幸せだぉ(^^)