Extra - 特別と余計の狭間 -49ページ目

英語嫌いの行き着く先

英単語に襲われる夢を見た(唐突


なんかenvyとかanticipateとか見た気がする。
英単語に襲われる人なんて私ぐらいだろうにw

しかも下ネタの方向だったという←
何故か性別変わってたよ私w

私『abideさんやめて!』

…うわぁ気持ち悪っ
でも確か夢ん中で言ったよ私ww




envyが『羨ましく思う』的な感じだっけか?

anticipateて何だw
そもそも存在する単語だろうかw


…という数日ぶりの更新

酷い記事だ…

その名は芸人

人に笑顔を与えるために、涙を流すほど必死に頑張る人がいる。



いや、とあるCM見て思っただけだよ。



東京03面白かったなぁw

私としてはサンドイッチマンより卓球のネタやったとこのが好きだったなぁw
名前忘れてるけど←



うわ、日跨いじゃった
朝早いのになぁ…

寝るっ皆さんおやすみっ

呟き:クマー

なにやら熊が取り沙汰されているようで。



率直に、悲しい事件だと思う。



人間社会に置き換えてみれば、何となく分かって貰えるかな?

人間社会なら、要は空腹に堪えれず盗みに入った、という感じ?


確かに罪は罪だ。
でも悪いのは世の中。


そんな感じのことは良くある。
けど、動物でこういうことがあると、何となく考えさせられる。

言葉が無いからこそ逆に、ね。



…私、ひねくれ者だろうか…(ぁ

心理テスト

長い長い坂があります。

一つの石が、その坂を転がり落ちています。


この後、石はどうなるでしょう。




























私に言わせれば、『磨り減って無くなる』か、夢を持って『どこまでも転がる』。


しかしコレ、『何か大きな壁にぶつかった時』の心理。


磨り減って無くなる。手段を失って立ち消え。つまり挫折。

何処までも転がる。悪い方へ悪い方へ延々と落ちて行く。



なんか正解すぎて笑ったw


ちなみに友人は、『途中で誰かに拾われる』。
嫌味とかじゃなくて本当に世渡り向きの良い性格だと思った。

久々に

久々に記事を書く。

最近、学園祭だとかで忙しくてね。



17:00から21:00ぐらいまで、公園で友人達とバカみたいなテンションで遊んでましたよ。

端から見たら完全にアルコール入り。
近くにビールの空き缶落ちてたし。


みんな歌ってましたね。
カラオケでやれよ。


まぁ久々に楽しかったよ。


ともあれお疲れ様。

呟き:猫

猫ほど、飼われている状況でも自我を保ち続ける動物はいないと思う。

メジャーなペット故、あまり気付いている人がいないかもしれないが、かなり特殊な動物であることは間違いない。少し考えてみると、何となくでも分かって貰えると思う。

一番凄いと思うのは、例えば人間に飼われると、自身も人間に近い自我を持つこと。

暴言を吐けば容易く気分を損ねるし、我々同様に拗ねることもある。
こちらが相応の態度で接すれば、相応の愛情を返してくる。


どちらかと言うと『服従』要素の多い、他の一般的なペットと比べると、『家族』として数えるにはかなり適切かもしれない。




…まぁ私は猫アレルギーだから飼えないんだけれども。←

道行く猫にやたらなつかれるんだよね…なんでかな?

呟き:キシュツ

そいえば画像掲示板とかで良く見る光景。



『即出だったらごめんなさい』

『概出ならスマソ』



これってきっと『既出』の間違いだよね。


こういう間違いするから、ゆとりとか言われるんだZE。

と、ゆとりがほざいてみる。


だってこの間違いは漢字の意味をみて分かるじゃないか?



既に出ている。


んで既出。


日本人大丈夫ー?

呟き:哲学を否定する哲学

世の中は、全てが必然。

世の中は、全てが偶然。



互いに真逆。

例えば、こうして私が携帯電話の1キーを1回押すと『あ』と入力される現実。

作る人が、1キーを1回押すと『あ』と入力される必然をプログラムした。
ちなみに、故障が起こるのは素材そのものに定義された必然の中の、故障条件を満たす行動を、使用者が必然の下にしたからだ。


また、その作る人が、そうしたプログラムを行うまでにも必然がある。

何を見て、何を聴き、何を触り、どのように育ったか。

見るのも聴くのも触るのも、その場でその人が下した1/1の行為の元に行われた。


過去の必然が今の必然をつくり、今の必然が未来の必然を作る。


それとも。


こうして想定通りに『あ』が入力されるのは、限りなく100%に近い確率の下に起こる現象。残りの0%に近い確率は『故障』である。

こうして極端な偶然を人為に作り出した人も、産まれ育ち作るまでの一瞬一瞬毎に無限の選択肢を無意識に選び続けた、『偶然の結晶』である。


どちらも、成り立つし成り立たない。
こうした答えが明確には無い事柄に正解を見出すのが哲学と呼ばれるものだろう。

しかし、そもそも数学のように、人間が一から作った、ソリッドな影響を受けることがない事柄以外に明確に答えを導くことは不可能だと思う。つまり私のこの否定も大した意味を成さないということに他ならないのではあるが。

とにかく万人が納得せざるを得ない答えを導けるのは、数学と人の命名した名詞ぐらい。
これは最早、『答え』と言うよりは『決まり』であろう。


この記事の冒頭の答えを導くなどは徒労だろう。

こうした事柄は、各々が心に秘めればよいと考える。
特に、冒頭の事柄などは人様に迷惑のかかるものでもない。

こうした事柄をどう考えるかが、人生の選択肢において自らの内面で照会され、指標となることは言うまでもない。


個性は、こうした積み重ねのものであると思う。



だがここで気をつけねばならないのは、この一連の文章でさえ、私が途中で否定した『哲学』であるということ。

その辺りまで含めて、この記事をどう受け止めるかは、読み手の個性に委ねる。




ちなみに話を最初に戻すと、私は世の中は全て偶然だと思う。

というより、偶然であってほしいと思う。

ただレールを走るのは飽きそうだしね。

模試会場の大学にて

易く外れるは人の身の性-090913_1535~01.jpg
オレンジジュースかと思ったらカフェオレな件。



ちょっと興味あったけど、私は冒険しない主義なんだぜ。←


しかし自販機の80個のボタンのうち65個がコーヒーて。


この大学にはコーヒー学部とかあるんだろうか(謎

呟き:世界仮説昔話

昔々、あるところに人間がいた。

様々な人間が、食い繋ぐため、生活の向上の為に試行錯誤を重ねていた。


そうしたある日、ある者が大収穫を得た。

人々は口々にその者を讃えたが、その者はこう言った。

『私が凄い訳ではない。ただ、何か目に見えない大きな力が私を手伝ってくれたのだ』


こうして、人々の心に神が生まれた。

人々は何か物事が成功すると、神に感謝した。
自分を自分が養う時代において、感謝することは無かった。

神は人々に感謝を与えた。


しかししばらくすると、神は姿を見せなくなった。
人々は飢え苦しんだ。

人々は神の出現を願うようになった。
しかしどうすれば良いのか決まっている訳ではない。
人々は各々の方法で神の出現を願った。


するとある日、ある人が神を呼び出した。大収穫だったのだ。

人々は口々にその人に尋ねた。

『どのように神を呼んだのか?』


その人は、その人の願い方を人々に教えた。

こうして宗教が生まれた。


その後も人は神を信じ続けた。

しかしとうとう、神を使って生活の向上を謀る者が現れた。

こうして宗教はビジネスになった。


神は型に嵌められ、見えるものになり、人々が思い描いていた神は歪めて統一された。

また、神は金銭が好きになった。

人々は神を呼ぶため、金銭を差し出した。


こうして現代まで、神は神を使って生活の向上を謀る者に微笑み続けている。



~~~~~~~~~~

…という仮説。

宗教は悪くない。
ただ、宗教に金がいるのか?物がいるのか?


そう考えた時、世界中で麻薬が解禁されているかのような気がした。