ラシード ウオレスのことが好きでない人は、多いかも知れない。ショートテンパーで、すぐにカーッときて、テクニカルファールをくらったことは、数えきれない。退場だって、NBA1位である。でも、バスケ選手としては不思議な才能があった。6フィート11の大型選手ながら、スリーポイントがめっぽう上手かった。両手をぴーんと延ばして、軽くスナップで回転を掛けて撃つシュートは、鮮 やかだった。彼は、1995年のドラフトで、ワシントンから4位指名された。その年の5位は、現在のチームメイトのケビン ガーネットだった。頭の中で、いつもガーネットを意識していた。ほぼ同じ体格、そして同じポジション。そうでありながら、いつも脚光を浴びるのはガーネットだった。そのガーネットを十分に助けることができず、チャンピョンリングは、2人の手からこぼれ落ちた。彼のような選手が引退するのは、本当に寂しい。ファイナル第7戦、終了直後の彼の涙が忘れられない。引退を決意した胸に、こみ上げるものがあったんだろう。彼を始めて見たのは、1994年の夏、カロライナのスミスセンターだった。UNCのプロアマサマーキャンプで、ジョーダンと笑いながら、1対1をしていた、可愛い学生のラシードが忘れられない。NBAから、また職人が消えていくのだろうか・・・。彼の心変わりを妙に期待してしまった。
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ケングリフィーJr.の引退には、さほど驚きはなかった。4月に調子が上がらなかった時点で、シーズン途中の引退があるな・・・と感じていた。レッズに移籍した、2000年から2007年の8年間、40本以上の本塁打を放った年が1回、30本以上の本塁打を放った年が2回と減少し、それに応じて打点も100打点以上をマークした年が1回になってしまった。シアトルにいた時代のJr.とは、スイングの美しさは変わらなかったが、明らかに、異なるプレーヤーになってしまった。シアトルも決して強いチームではなかったが、Jr.が在籍した時代、そして現在も、シンシナティレッズは、どうにも浮上できないドアマットチームでいる。ホームランや打点が減ることも、いわば、Jr.に対する強いマークが原因であると言えるだろう。ヤンキースのリベラやジータがそうであるように、野球選手は常にプレーオフ進出を狙えるチームにいることが、実は、選手自身の寿命を長くさせる間接的な要因になっているのかも知れない。今、フィールドを去ることは、華麗なる彼の偉業を汚すことのない、華麗な、そして爽やかな撤退である。
今日、UCLAの名将、ジョン ウッデンが99歳で逝った。それをトリビュートして、1年ぶりにブログを更新したい。筆者の身勝手を謹んでお詫びする。ウッデンは、1970年代の常勝UCLAの名将である。彼の考案したUCLAカットはバスケ界ではあまりに有名な基本的な攻めの手法だ。NCAAトーナメントの優勝回数も未だ、トップであるが、彼は誰よりもバスケの戦略を熟知した指導者であることで有名だ。中でも「バスケットボールの戦略に間違いはない、問題は、自軍に最適な戦略をいかに見つけ出すかである。」と説いた、明言が忘れられない。体力よりも、運動能力よりも、チームとしての戦略に重きをおいたウッデンのバスケットボールは、見る者を魅了する、美しいバスケットボールであった。ご冥福をお祈りしたい。
