『完全教祖マニュアル』架神恭介・辰巳一世著 書評 | 52歳で実践アーリーリタイア

52歳で実践アーリーリタイア

52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

 

 

<概要>

キリスト教・イスラーム教・仏教のモデルを主に、教祖になるための方法をマニュアル的・具体的に紹介することで宗教の構造を科学的に解説した著作。

<コメント>

宗教本としては、とても個性的な本。

 

読後の感想ですが、宗教を信仰する人に対するリスペクトがないというか、彼ら彼女らを小馬鹿にしたような著作だったので、何らかの宗教を信じている人が本書を読むと、極めて強い不快感を味わうことになると思います。

 

なので「宗教をやめたい」と思っている信者の方以外は、本書は読まないほうがいいと思います。

 

自分が現在勉強中のイスラーム教についても独特の「上から目線」で詳しく紹介してくれているのですが、内容自体は極めて真っ当で、しっかりイスラーム教について勉強した上で本書を記述していることがよくわかります。

 

したがってキリスト教・仏教に関しても相当に十分に下調べして書いているはずで、本当に教祖になりたい方にとっては、相当に有効な本ではないかと思います。

■思想編

宗教の目的は「信者をハッピーにすること」であって「正しいか、間違っているか」は気にしないほうがよい、というのがまず大前提にあります。

 

この世は、因果律で説明できない場合が多いので、そんな場合に「神(「天」などの絶対的存在でもよい)」を創造することで、強引にこの世の中を因果律の仕組みで説明できるようにしたのが宗教だ、というのはその通りだな、と思います。

 

したがって教義を作るにあたっては、まず任意の前提としての「神」を説明する教義を作れば良い。ただし原始仏教の場合は「釈迦式修行法」により、人をハッピーにできたので、神を想像する必要はなかったということだから、必ずしも神を必要とするわけでもない、ともいえます。

 

私の視点からいうと、大切なのは世の中をいかに説得力の高い「因果律」で説明できるかどうか、がその宗教の浸透度合いに比例するのかなという感じ。したがって著者もいうように任意の前提をおいたうえでの「因果律が完結する」魅力的なストーリー=教義を作ることが肝要。

 

そのための一番手っ取り早い方法は既存の宗教やそれなりの信者を抱えた新興宗教に入信して、その教えを知り、その教えのより現代バージョンを新たな思想として生み出せばよい、と言っています。

 

なぜならほとんどの既存の宗教は、その時・その場所に生きる庶民に対してマッチするよう、改善?することで生き残ってきたからです。

 

神学者にして元東京女子大学長の森本あんり氏が「アメリカのキリスト教は、その時代その社会に合わせて、ウイルスのように変わって適応してき、さらに社会を変えていくことで生き残ってきた」と言っていたのですが、まさにその通りです(『反知性主義』24頁)。

 

 

既存の宗教も、どんどん新しい改革派がどんどん新しい派を作って分派し、キリスト教(イエス)もイスラーム教(ムハンマド)も仏教(釈迦)もみな今に至って当初の教祖が狙ったものとは全く別物になっているのが現実です。

 

このように教祖になりたいなら既存の宗教を知ってその課題を抽出して信者に不安を掻き立て、その解決策を提示する「焼き直しパターン」を教義として整理し、既存の信者に訴えれば、自分の信者が増える、というわけです(森本氏は「ウイルスが変異する」と表現)。

 

そして信者の生活の一部(※1)として取り込まれるのが大事で、教義も浄土教(※2)のようにわかりやすくて簡単なほうが信者を増やしやすい、というのはその通りだと思います。

※1生活の一部:結婚式・葬式、日曜礼拝、クリスマス、お盆とお彼岸、各種祭りなど

※2浄土教:「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで「来世で天国に行ける」と現世で幸せになれる、など。

つまり、既存の宗教の問題点を指摘して、よりキャッチーで現代的でかんたんな教義をつくって分派した信者たちに特別感を味合わせ、ハレとケ双方で生活の中に儀式やルールを取り込めさせれば、信者はついてくる、というわけです。

■実践編

まずは布教活動です。一番効果的なのは親族を一番の信者として取り込むこと。例えばイスラーム教の預言者ムハンマドのように最初に信じてくれたのは奥さん。

 

仮に奥さんや子供が信者になってくれないと、逆に反抗活動される場合もあり、危険です。

 

そして、次に信者にしやすいのは弱っている人です。例えば既存宗教の分派が一番手っ取り早いわけだから、既存の宗教から分派して、分派の時に一緒についてきてくれる信者を利用して、困っている人に救いの手を差し伸ばせば良い。

 

病気になって悩んでいる人、ご家族が不慮の事故や災害に遭ってお亡くなりになった人、たんに人生が不幸な人、など、既存の医療やテクノロジー、法律などで解決できない不幸は、まさに宗教の出番と言ってもよいと思います。

 

以下の図の「取り込みやすい」かつ「接近しやすい」がキーワード。

 

 (本書137頁)

 

本書は旧統一教会が問題になる前の出版(2009年)ですが、こうやってみると最近話題になった「宗教二世」問題が起きるのも「さもありなん」です。息子・娘は、取り込みやすくて接近しやすいわけですから。

 

そして大切なのは、いかに「金持ち」を信者に取り込むか。教団を維持するためにはオカネが必要であって、いかに「お金を稼ぐか」も商売並みに重要だからです。

 

本書によれば、一番効果的なのは「不老長寿」や「名誉」をテーマにすること。不老長寿は「お金」では解決できない悩みになりやすいから。

 

個人的には「熊野詣」のような「罪滅し」も効果的ではと思います。

 

大金を稼ぐには「家族を犠牲にする」「ライバルを蹴落とす」「合法的に賄賂を贈る」「詐欺まがいのことをする」など高い確率で必要悪なことにも手を染めているはずで、そのことに対する「悩み」も抱えているはず。そんな悩み=罪悪感を解消するための何らかの「儀式」を自分の宗教に組み込めば良いのです。

 

そして「金持ち」を取り込めなくても、信者からの寄付も大事。

 

いかに寄付してもらうのか、最も効果的なのは、御朱印・免罪符・御守り・厄払いや無病息災の儀式など、不安を煽ってこれを解決するのはもちろん、不安を煽らなくても、世の中のさまざまな既存の不幸を解決できそうな、霊験あらたかなる何らかの儀式やツールを開発すれば良い。

■個人的感想

以上、教祖になるためのマニュアルは、過去の成功事例に基づき、相当に実践的です。

 

そして宗教の構造も本書で相当理解できる創造性高い良書です。

 

とはいえ、何らかのモヤモヤ感が本書にはあって「それは何なんだろう」と思ったのですが、果たしてこうやって本書を読んで教祖になった人自身(実際に教祖になって成功した人の紹介事例もある)は、それで「本当に幸せになれるんだろうか」ということです。

 

これはやってみないと実際わかりませんが、私自身はこうやって教祖になってもちっとも幸せじゃない。

 

つまり著者流にいえば本書にしたがって教祖になって「信者をハッピーにさせた」としても全然自分のハッピーにはならない。私自身無宗教者であり、現象学の世界観を信奉する人間だからかもしれません。

どうやってハッピーを与えていたかというと、彼らは人々に世界を解釈する斬新な方法を与えていたのです。私たちが何を考えていようとお構いなしに、「世界」は、こう、どーんと存在してますよね。問題は、私たちがその「世界」をどのように解釈するかということです。どう解釈したらハッピーに生きていけるのか、十人十色ですから、それは人によって違います。科学的に解釈するのも一つの選択ですし、キリスト教的に解釈しても、仏教的に解釈しても、イスラム教的に解釈しても構いません。

本書228頁

私の理解では、任意の前提をおかずに世界説明しようとする科学は事実の世界を解釈し、任意の前提をおいて世界説明しようとする宗教は、価値の世界を解釈するので、全く別物ですが、この辺りの違いは著者は「同じもの」として紹介しています。

 

もうちょっと紹介すると、価値、つまり善悪の領域を扱わない科学の世界観ではハッピーは与えられません

 

インターネットが普及してもそれ自体がいいことかどうかは「使い方次第だ」と同じことです。

 

インターネットという技術自体は科学の世界であり、善悪で判断するものではないからです。使い方次第で悪くもなるし善くもなる(ウィニー開発者は新しいテクノロジーを開発しただけなのに悪に使われるから、と不当逮捕されたのと同じ理屈です)。

 

私の考えでは、ハッピーは自分が創造するものです。

 

そこら中にハッピーの種はたくさんあります。自分が何を選ぶかは、私たち次第(その中に宗教もあっていいとは思います)。なのでいろんなことに興味を持って何が自分をハッピーにさせてくれるのか、ひたすらトライ&エラーを繰り返す。

 

そうすれば、もしかしたら、いつか自分にハッピーが訪れるかもしれません。