「人新世の資本論」斎藤幸平著 読了 | 52歳で実践アーリーリタイア

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52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

 

 

 

<概要>

これまで注目されていなかった晩期マルクスの思想に基づき、気候変動問題を根本的に解決するためには、資本主義の延長線上にあるSDGsのような安易な対策ではなく、資本主義そのものから脱却して、脱成長の全く新しい社会主義=脱成長コミュニズムを目指すべきと提言した著作。

 

<コメント>

新しい社会主義=脱成長コミュニズムを提唱した画期的な著作で、ベストセラーになっているということで、私も興味津々で早速通読してみました。ストーリー展開が明確で、一貫性があり、読みやすいので一気に読了。

 

そして、安全保障面を除けば(本書では言及なし)、日本共産党とほぼ同じ(以下YouTube参照))主張なので、共産党も著者を担ぎ上げて秋に到来する衆議院選挙に臨めば、相当な票を獲得できるのではと思います。いつの日か日本共産党が単独政権を獲得できれば、日本でも「人新世の資本論」に基づく新しい社会=脱成長コミュニズムが実現するかもしれません。

 

 

■人新世では、気候変動の防止が最も優先すべき課題

「人新世」とは、ノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンが提唱した地質学的な時代区分で、我々が生きるこの時代は、人間の活動が地球環境に大きく影響を与えている時代だとして新しい地質学的区分として分けるべきだとして設定されたもの。

 

著者は、このまま人間活動を続けていると、今より地球平均気温がが2-3℃高かった400年前の「鮮新世」の状態になってしまい、われわれ人間は存続の危機を迎えることになると警告しています。具体的には産業革命前の気温から1.5℃以内に抑えることが必要(パリ協定と同じ目標)。

 

具体的な人間存続の危機の事例としては、以下の通り。

 

*シベリア:永久凍土が融解し、メタンガスが放出されて温暖化が加速、炭疽菌のようなウイルス放出リスク。ホッキョクグマは行き場を失う(ちなみにホッキョクグマは増加中

 

*日本:海面上昇による低地での冠水(影響1000万人以上、4℃まで上昇した場合のみ)、サンゴが死滅、夏の熱波で農産物の収穫が減少、台風の巨大化、豪雨の影響(昨今の巨大台風や豪雨は過去から不定期に発生しており、温暖化の影響かどうかは科学的には、まだ不明

 

 

*コロナ禍:気候変動案件ではありませんが、著者によればコロナ禍も「人新世の産物」。森林破壊などで自然の奥まで人類が深く入り込んだので感染症が跋扈(パンデミックは人類の土地開発の規模に関係なく歴史上定期的に発生しており、人新世と別問題では?)。

 

私の考えでは、気候変動問題については、今年になってやっとIPCCが人為的な問題として確定させた問題なので、その是非については個別に慎重に扱うべき案件。今のところ人類に多大な影響を及ぼすといわれているのは「海水面上昇」。

 

 

■資本主義体制の維持を前提にした環境保護対策では気候変動問題は解決不能

著者の面白いところは、過去に流行ったロハスはじめ、最近流行りのSDGsやグリーンニューディール(気候ケインズ主義)など、現状の資本主義社会を前提にした環境保護路線は、まやかしの環境保護 (現代版「大衆のアヘン」)だとして、気候変動を防止することはできない、としています。

 

二酸化炭素を人工的に吸収する技術=気候工学(NET=ネガティブ エミッション テクノロジー)についても、地球環境を人為的に変えるのは、リスクがあるとして否定的。

 

■脱資本主義による脱成長→成長を求めない脱成長コミュニズムへ

ではどうやったら、気候変動を防止できるかといえば、資本主義を脱却して脱成長の世の中に転換し、地球環境に影響を与えない経済規模の範囲で人類は生存すべき、と主張。そして今の資産の範囲内でみんなで富を分かち合えばよいという結果平等の思想。

 

気候変動対策と結果平等をセットにした社会を目指すべき、としているのは唐突感がありますが、富裕層の超過消費が二酸化炭素過剰排出などの環境負荷の原因だとして、富裕層の活動をスケールダウンさせ、貧困層の過少消費を環境負荷が起きない範囲で増大させて、地球環境に影響しない範囲での結果平等の社会を目指せばよい、という考え方です。

 

ちなみに、著者はグリーンディール政策のような再生エネルギーの推進などの方向性を否定しているわけではなく、積極的に推進したうえで、それでも足りないので、経済の規模そのものをスケールダウンさせつつ定常経済にもっていきましょうということ。

 

本書では政治経済学者ケイト・ラワースの「ドーナツ経済」を参考に地球環境に影響を呼ぼさない範囲での経済規模はどの程度か、そしてその中での結果平等はどうあるべきか論じればよいとしています(下図参照)。

 

 

なので、歴史学的区分としては、進歩を前提とした「現代」ではなく、定常社会を前提とした社会、わたし的に解釈すれば「現世」に移行していくべき、という感じでしょうか。
 

■新しい社会主義=脱成長コミュニズムとは

ではその脱成長コミュニズムとは具体的にどんな社会か、ということですが、ここが日本共産党とほぼ同じ。簡単に言えば脱成長を前提にした「民主的労働組合をベースにした結果平等の世界」です。

 

具体的に我々が獲得すべき付加価値は「公富=コモンズ」であって「私財」ではない、としています。公富とは、万人にとっての富で、土地や、水・再生可能エネルギー(電気)・ネット環境などのライフラインや、企業における生産手段としての有形・無形固定資産、教育や医療、シェアリングエコノミーなんかも公富に含まれます。

 

これらの人間が生存していく上で必須となる「公富」を管理するのは、民間でも政府でもなく「ワーカーズコープ(労働組合)」。ワーカーズコープは参加者全員が平等に共同出資した法人で、日本でも昨年(2020年)4月に成立した法律に基づく団体で、注目されている組織らしい。小売業的存在の生協COOPと同じような組織です。

 

株式会社のように、資本家(株主)が出資するのでなく、その団体で働く労働者自身が出資するので労働者の自主経営自主運営となり、すべての人に平等な組織として民主的な運営が可能だといいます。

 

そして、企業(利潤を目的としているから)という形態は禁止し、すべてNPOやワーカーズコープなどの非営利団体のみで活動する社会に限定し、そこで得た利益は労働者全員で平等に分配されるという結果平等の社会。そしてここでは「信頼」と「相互扶助」がキーワードとなります。

 

農林水産業・鉱工業については、ブランド品等の奢侈品、大量廃棄のもととなる使い捨て商品などの無駄なもの(これが私財)は生産中止(どうやって誰が選ぶの?)し、生活に必須の消費財(人々の基本的ニーズを満たす商品=公富)を単純労働を誘発する定型業務としてではなく、職人的な創造的業務の形で生産しつつ労働は最小限にし、増大した余暇は、個々人が自由にスポーツや芸術などの文化を楽しめばよい、としています(労働生産性悪化で品不足?)。

 

サービス業については、医療や介護などは労働集約型のエッセンシャルワークとして重要な労働として位置づけ、マーケティング・宣伝や金融・不動産業などは、過剰な富を生み出す元凶(=私財)だとして排除すべきと主張しています(消費者にどうやって欲しいものを知らせるの?お金や不動産の効率的活用はどうやってするの?)。

 

そして最終章では「われわれ自身が脱成長のコミュニズム目指して、社会を変革させよう」と宣言。

 

■結果平等で経済は衰退一直線。そして私たちは貧困と死を待つのみ

ここに至って「夢か現実か」という感じ。あまりにも非現実的なプランなので、夢物語の読み物として楽しめばいいかなと思います。そして個別にみると突っ込みどころ満載で、あまりにも酷いのは、ちょっとだけ上記にかっこ書きしましたが(本当はもっとたくさん)、

 

結論的にいえるのは、基本的に人間は欲望の生き物であり、聖人君子ではないということ。したがって「結果平等」は成立しません。本書でも紹介されているマルクスの有名なゴータ綱領批判のことば

 

「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」

 

正に社会主義を象徴する言葉ですが、学生時代に、この言葉を知って以来、社会主義では貧乏一直線だなと実感。「自分が一生懸命働いて、隣でさぼる人がいて、でも給料はみんな同じ」。さらに必要に応じて受け取るので、仮に隣のサボる人に子供がいれば、この人は仕事の量に関係なく給料は2倍。これではバカらしくてだれも働きません。私自身1980年代の中国で、実際に結果平等の世界を体験しましたが、ひどいものでした。働いても働かなくても給料が同じだったら、人間はできるだけラクしようとするのは当たり前です。

 

一方で、働いて成果を出して、お客さんから「ありがとう」と言われて、会社から評価されて給料も増える。そしてうれしいと感じる。これも人間。

 

人間は社会的動物なので、成果に応じて他者から評価されれば、幸せになる(承認欲求の充足)。そして心理学的には過去と現在、現在と未来のポジティブギャップに幸せを感じるので、毎日変わりのない定常社会では幸せには感じません(そうでない方は仏教を信仰するとよい)。

 

著者は、民間企業、特に大企業を目の敵にしていますが、私自身大企業で働いた実感としては、我々がもっぱら考えていたのは「徹底的な顧客第一」です。そうでないと、あっという間に売上は落ち、給与は減り、リストラされた挙句の失業が待つのみ。経営的には株価は暴落し資金調達不能となって倒産。

 

法の支配に基づいた公正な社会を前提にした企業活動においては、顧客(消費者)に向き合わなければ、利益は出ません。著者が批判する高級ブランドも、消費者の賢い目線の結果として成立しているだけで顧客あっての商品だということです。

 

企業価値や伊藤レポートで有名な会計学者の伊藤邦雄もいってましたが、企業の利益は「ごりやく」と読む。つまり社会のニーズを満たしたり、欲しいものを必死に考えて創造して商品化して宣伝して、購入いただき、その結果が利益(=ごりやく)なのであって、消費者がそっぽを向くような著者いうところの無駄な商品では利益は出ないのです(つまり無駄なものかどうかは消費者が選択している、ということ)。

 

■民主主義という普遍的価値観

とはいえ、我々は自由社会に住む人間ですから、世の中をどのような世の中にしたいかは、自由です。

 

しかし著者のいうような社会では、禁止だらけで自由は完全に抹殺されてしまう。人類は存亡の危機に立たされるので、金融業の禁止・広告業の禁止(Googleも公共化)、不動産業禁止はもちろん、民間企業はすべて解体してワーカーズコープとして再組成だ、というわけです。

 

やはり現実的なのは、自由を担保しつつ、環境問題は省エネ・再生可能エネルギー、気候工学やバッテリーの技術革新で解決する、という方向性。

 

民主主義自由社会であれば、企業として生産活動はもちろん、著者提言の生協のようなワーカーズコープも活動可能。どんな形でも法の支配に基づいて民主的に立法化すれば成立するのが民主主義。それでも著者のいうような社会が理想というなら、選挙で日本共産党に投票することをお勧めします。

 

私自身は自由を阻害する結果平等は、マット・リドレーが証明したようにイノベーションは起こらず、経済を衰退に向かわせ、失業者を生み、国際競争にも負けて、貧困へとまっしぐらで環境問題どころではないと思っていますが、もしかしたらそうでもないかもしれない。

 

ただし、一つだけポジティブに感じたのは、ワーカーズコープの考え方。企業のように利益を配当として株主に還元する方法もある一方、労働者自身が株主みたいになることで、自分たちの成果をみんなで配当として分けあおう、というのは真っ当な方向性で、もしかしたら日本でもこんな組織が今後増えるかもしれません。それも民主主義社会ならでは。

 

それでもワーカーズコープは、結果平等でない、成果に応じて給料が変動する組織にしておいた方がいいとは思いますが。。。