「意志と表象としての世界<2>」 ショーペンハウアー著 読了 | 52歳で実践アーリーリタイア

52歳で実践アーリーリタイア

52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

「意志と表象としての世界」第3巻と第4巻の一部を掲載したのが本書。ショーペンハウアーの芸術論(第3巻)と世界観(第4巻の一部)で構成されている。
芸術論はイデアの世界観と芸術の世界観をテーマにペシミストたるショーペンハウアーが垣間見せるポジティブな世界観。音楽を最高の芸術と称して芸術はイデアの世界を認識させてくれるという。
そしてこの意志というものは万物を動かすエネルギーみたいなもので、盲目なるエネルギー。こうやって考えるとドーキンスの「盲目の時計職人」を想像させる論理で、人間が制御できないエネルギーだからこそ「人間の生は苦悩」という次巻の結論につながっていく。


第4巻まで通読するとよくわかるのですが、意志の世界観には以下の通り2通りあって、これの整合性をどう判断したら良いか不明。

(1)世界原理(=本体)としての意志の一つの世界観=第3巻
意志が時間と空間を与えられて表象として発現したのがこの世界。そして意志の発現するピュアな世界がイデア。意志という本体(=世界原理)のピュアな姿がイデアなのです。このイデアを表現したものが芸術。

*芸術⇄イデア⇄意志

「あらゆる芸術は、イデアを描き出すという点で目的を一つにしている(第51節)」

「美とは、意志一般がその単なる空間的な現象を介して適切に表現されることにほかならない(第45節)」

「優美とは、意志がその時間的な現象を介して適切に表現されること。意志を客観化する運動や姿勢を介してあらゆる意志行為が完全にきちんと相応しく表現されることに他ならない(同)」

(2)「現実界=意志と表象の世界」と「解脱界」の二つの世界観=第4巻
一方で第4巻では、明確に意志の世界と意志の外の世界=解脱の世界を分離しています。盲目なる意志の世界から解脱することによってしか人間の苦悩は除外できない、インド哲学のように「輪廻の世界にとどまるのみ」ということ。「この輪廻の世界=意志の発現した表象の世界というのは、苦悩と退屈の世界。なぜなら盲目なる意志が発現した世界だから」という具合になる。

そして盲目なる意志の世界から解脱して永遠の世界(=完全な無意志の世界)が別にあってこの世界が理想の世界だと謳うのです。

(同じ疑問は小坂国継先生も同様で他の専門家の方がこの矛盾をどのように解釈して整合性を導こうとしているのか、今後も調べてみたいなという思ってます)

したがって、第3巻まで読んでいる分には、(一部この世の生は苦悩ということを匂わせてはいるものの)「全然ショーペンハウアーってペシミストとは思えない」という風になります。

ところが第4巻に進むと「意志の世界は苦悩と退屈に満ちた世界」だからここから解脱しましょう。解脱するには無私無欲になって聖フランチェスコやインドの行者のように修行しましょう」という結論に至るのです。