こんばんは。
昨日は、青森県沖を震源とする大きな地震がありました。
皆様のご無事をお祈りしています。
長崎旅行の続きを書きます。
最初に訪問したのは、永井隆記念館でした。
永井博士は、放射線医師でした。
優秀な方で、大学卒業後は内科医になる予定でした。
ところが中耳炎にかかり、耳が聴こえなくなったので、聴診器を聞けない、内科医は無理だとなり、放射線医師に転向しました。
たくさんの人のレントゲン撮影をしましたが、戦争のためフィルムが入手困難となり、直接画像を見ていたそうです。
たくさんの放射線を浴びたため、白血病となり、余命3年と宣告されました。
やがて長崎には、8月9日にプルトニウム型原子爆弾が落とされます。
爆心地から半径2キロ以内は、ほとんど破壊され焼失したそうです。
永井博士の奥様も、原爆により亡くなられました。
博士自身も被災されました。
それでも、患者を救うべく懸命に働きました。
やがて病状は重くなり、寝たきりになるのですが、病床で17冊の本を執筆しました。
『長崎の鐘』はベストセラーとなり、映画化もされました。
永井博士は、敬虔なクリスチャンでした。
最後の3年間を過ごされた建物には如己堂と名付けました。幼い2人の子供を残していくことが何よりの気がかりで、隣人を己のように愛しなさいというメッセージを込めたのでした。
記念館は、こんな感じの建物です。
現在は、お孫さんが館長をしています。
永井隆記念館から歩いて少しのところに、浦上天主堂があります。
鐘楼が二つありますが、原爆で1つは崩れ落ちました。今もそのままの状態で保存されています。
中にいた信徒の方も神父さんも即死だったそうです。
教会の中に入ると、パイプオルガンの音が聞こえ、前の方の席で祈りを捧げている方がいらっしゃいました。
私も、心の中でお祈りしました。
さらに歩いて、平和公園に行きました。
平和公園には、大きな青銅の祈念像があります。
左手は、爆心地を指しています。
平和公園のある場所は、刑務所だったのだそうです。
囚人も看守も皆亡くなりました。
戦後、この場所は、平和公園として整備されました。
長崎は、坂が多い街です。
永井隆記念館から浦上天主堂へ行く間に、坂道を下りて上りました。
平和公園に行くためには、また坂道を下りて上りました。
細い路地がたくさんあり、階段もたくさんあります。
海からすぐ山になるので、坂道沿いに人々は家を建てたり道を作ったのでした。
ディープな散歩の達人になれそうですが、年を取ったら、移動が大変そうです。
続きは、次回に👋




