6月に入り、かなり暑くなってきました。
本日の新聞の投書欄に、親が大学の入学式や卒業式に来るのはおかしくない!というのがありました。その前に、某作家の方が、親が子離れ出来ていない、親の幼児化だ、親が大学の入学式などに来るのはおかしい、という記事が掲載され、それに対する反論のようです。
私の親は、私の高校の卒業式に出席すると意気込み、新しい洋服まで買ってきて、さんざん大騒ぎした挙句、直前にやめました。これは、服を買うための口実に利用されただけだったのではなかろうか、と訝しんだものです。当然ながら、その後、大学の入学式にも卒業式にも来ませんでした。もはや、服を新調することもなく、何ら騒ぐことすらありませんでした。
なので、親は来ないものなのだ、と思い込んでいました。
一言付け加えますと、高校の卒業式は、何年間か廃止されていて復活したので、参列した親自体も全体の三分の一以下だったような気がします。
最近話題の某大学の某運動部の問題。保護者会が登場していました。中学生の部活ならまだしも、大学生になっても、保護者会があるのですね。
私の友人で、どこか浮き世離れした人がいまして、その人にPTAのイベントの講師を依頼した事がありました。まず最初の質問は
「PTAって何だ?どういう組織で、何をするものなんだ?」
この方は、その当時、2児の父親でした。彼の子供達が通っている保育園は、親が全面的に協力しないとやっていけないような、親と園の連携が非常に重要なところでした。なので、保育園の保護者会みたいなものだよ、と答えたのですが、あまり納得していないようでした。
でも、世の中は、親がいつまでも子供に付き添う、それも子供が大きくなっても、という傾向が加速しているように感じます。
話は変わりますが、JR東京駅の地下街に、銀の鈴が4個展示されていました。現在の銀の鈴は4代目なのだそうです。
私は中学生の時に、東京に住んでいた事がありました。東京の学校のグラウンドは、非常に狭いです。かろうじて斜めに50メートル走の直線コースを取れるくらい。
なので、修学旅行などは、東京駅の銀の鈴の下に集合し、帰りも東京駅で解散でした。東京駅まで子供を送って来るような親は、いませんでした。
これも遠い遠い昭和の記憶なのでしょうかね🤔