歴史的な南北首脳会談が行われた4月最後の金曜日。プレミアム・フライデーという言葉は、もう死語の世界になったような、、、⁇
書くことを思いつかないので、本日は「ワン・オペ育児」という言葉について。
実は、私、この呼び方はあまり好きではありません。オペという言葉は、オペレーションの略なのでしょうが、どうも「手術」を連想してしまうのです。
かつて、日本人は大家族で住み、農業やら商店やら町工場やらを家族経営でしていました。この時代には、職住はあまり分離しておらず、育児も家全体とか地域ぐるみで行っていたと思います。
そもそも、子どもは大人とは違う存在なのだ、と認識されるようになったのは、多分近代になってからでしょう。日本では、戦後の高度経済成長期より後なのではないかという気がします。
家族経営の仕事の場合には、幼子であっても、貴重な戦力だったのです。7歳で下の子どもの子守をしたり、9歳位には飯炊きなどもしたことでしょう。「おしん」の世界ですね。
ところが、核家族化が進み、家族の規模が小さくなり、職住が分離し、更に自営業ではなくサラリーマンが中心的になると、事情がかなり変わりました。
家事も育児も、少ない人数でやらなければなりません。特に日本社会は、未だに男性優位なので、家事育児の負担は、一気に女性の肩に掛かってきました。
電気製品がたくさん発明されて、家事は楽になったはずなのです。井戸水を汲んできたり、薪を割って風呂を沸かしたり、飯炊きをしなく良いのですから。
ところが、楽になると、今度はその分、洗濯の回数が劇的に増えてしまったり、料理の品数も多く作らねばならなくなったり。ちっとも楽にならないどころか、やる事が増えてしまうのでした。
「ワン・オペ育児」なんて悲壮な思いでやらないで、やれることをやればいいのではないかしら。これをしなければいけない、あれをしなければいけない、という思いが自分で自分を縛り辛くなってしまうのだと思います。
せっかく手伝ってくれた夫のやり方に不満を持つのもストレスが増えるだけです。
うちの夫も、皿洗いをしてくれるのはいいが、そこら中水びたしにします。決して拭く、ということをしない。どうやら彼の頭の中には、台所で皿洗いした後に、水を拭き取る、という概念自体が存在しないようです。
きっと自分も、夫から同じように思われているのでしょう。私がやらかすことに対して、彼も私の頭の中に存在しない概念を嘆きながら(?)諦めているのかもしれないです。
とにかく、水びたしになろうが、少々皿に洗い残しがあろうが、洗ってくれないよりもマシです。
できなかったことではなく、できたことを喜び感謝することにしています。
実は、ウチの子どもは、母親ではなく父親が大好きのようで、何かある時は必ず父親に相談していました。とても人気度が高いのが、悔しいのでありました(笑)