東日本大震災から三年が経ちました。
亡くなられた方のご冥福と被災された方の一刻も早い復興をお祈り致します。
まだ、自分の中では、何を書いたらいいのか、語る資格があるのかもよくわかりません。
三年の節目に、少しだけ自分の思いを書いてみようと思います。
2011年の午後、仕事をしていました。地震が発生したその瞬間は、あまり驚いていませんでした。
茨城県南には地震の巣が21あると言われ、日常的によく揺れていたからです。
しかし、数秒過ぎても揺れはいつもと違っておさまらず、だんだんひどくなっていきました。
そのうちに身の危険を感じて、机の下へ避難しました。
揺れが収まるまでの数分が長く感じられました。
こわごわ机から這い出ると、辺りの様子は凄い。壁に埋め込まれたエアコンが飛び出して落ちてきそう。
ガラスが粉々に割れて、足の踏み場も無い部屋もありました。
全員、グランドに避難して、待機していましたが、皆まだ事の重大性を理解していませんでした。
帰る途中の道は、停電のため信号はつかないし、大渋滞。
帰宅できたけれど、真っ暗で水道もガスもつきません。
懐中電灯の明かりを頼りに、割れた食器を片付け、何回もやってくる余震の恐怖と寒さに震えながら、夜を明かしました。
東京へ出張していた夫は、その夜は帰れず、翌日に常磐線が途中まで復旧したので帰るという連絡を最後に携帯の電源も無くなり連絡が取れなくなりました。
翌日お迎えに行きましたが、駅の周辺は人と車でごった返し、2時間以上グルグルと探し回る。
花粉症で目が痒くて、鼻水とクシャミがとまらず、辛かったです。
永遠に再会できないのではないかという気がし始めた時に、携帯が鳴りました。
公衆電話が無料で掛けられるけれど、30分並んでやっと順番が来たとのこと。
実はすぐ近くにいたのでした。
本当にホッとしました。
震災からの1ヶ月は、とても長く感じました。毎日余震が続き、落ち着きません。
自宅の停電は、翌日には復旧し、水道も一週間後には、ほぼ普通位に戻りました。
しかし、近隣の家で、屋根などが壊れ、かなり長期間修復できず、ビニールシートを被ったままのところもありました。
近所には、福島県から避難された方もいで、未だに帰ることはできない状態です。
職場では、食堂の天井が全部崩落して、数ヶ月間閉鎖されたり、出荷する製品全部に放射能測定検査したり、さらに夏には厳しい節電要請への対応など、いろいろありました。
届け出た電力使用量を一回超えるごとに
100万円の罰金が課せられるため、真夏の午後暑さのピークを迎える頃に、全館エアコンの電源を落として下さい、という放送が入りました。
もっともエアコンを入れても、設定温度は30度でしたが。
あの大変だった三年前がどんどん風化して、被災地のことを忘れてしまったかのような日常生活を送っていることに戸惑いを覚えます。
忘れてはいけないのです。
そして、過去から学び未来を変えていかなけばなりません。