イトウフミヤスのブログ

日本の戦国時代、恐ろしいほど強力な武将が

多くいた時代です。

 

それこそ、力と知恵を出し切って、「戦(いくさ)」という行為を

乗り越えて、生き抜かなければいけない時代でした。

ある意味何でもありの時代ですね。

 

そんな強力な武将の代表格として、

豊臣秀吉の子飼い武将だった「福島正則(ふくしま まさのり)」がいます。

 

福島正則は、身長が190センチ以上あったらしいです。

なぜ歴史書だけを信じて、こう言えるかというと、

当時、福島正則が着た鎧が残っています。

武将クラスですから、オーダーメイドで鎧をつくらせます。

 

そのオーダーメイドの鎧の大きさから、

どうも福島正則は、190センチ以上ないと、計算があわない、ということらしいのです。

 

 

豊臣秀吉の記録・歴史を書いた文献が多くあって、

豊臣家の武将で、力自慢の武将というと、

まっさきに福島正則が登場します。

 

福島正則は昔は血気盛んな、喧嘩っ早い

武力だけの人と、思われていましたが、

現在は戦(いくさ)においても、深い人心の読みと

戦略性がそなわった武将だったと、最近分かってきています。

 

福島正則のそういった知力のすごさを示す面として

「茶の湯」文化に、こっていたということが挙げられます。

正式に茶の祖・千利休の弟子として認められております。

 

 

福島正則は常々こう言っていたそうです。

 

「戦(いくさ)で、命をとられるような恐怖を

今まで感じたことはないが、

利休の茶を前にしてしまうと、

恐怖で、がたがた震えてしまうんだ。」

 

力自慢で、武力と知略で戦(いくさ)で敵なしと言われた猛将が

利休がお茶をたてているのをみて、震えるほど恐怖を感じた、

というのは衝撃です。

 

私は当時に茶の湯が何か特別な意味をもっていたのだろうか?と

考えました。

 

ずっと1年間くらい考え続け、以下のような結論に達しました。

 

利休が茶をたてている作法をみて、

自分自身が緊張するような(場合によっては恐怖すら感じる)

自己暗示を、福島正則は自分に、かけてしまっていたのだろう、と。

 

例えば私たちも、「緊張している」場面で、「ああ、緊張する」と口に

出すと、かえって緊張の度合いが増すことがあります。

 

これは自己暗示のひとつです。

 

福島正則も、せまい茶室という空間で、静寂の中

茶をたて、ただ飲むという行為に、緊張感を感じ、

その一度感じた緊張感を、自己暗示によって、

増幅させていったのだと思います。

 

これは何を意味するかというと、戦場で命の恐怖すら感じないと

言わさしめた福島正則でさえ、緊張や恐怖といった自己暗示に

かかってしまう。緊張や恐怖に、自分をおとしめてしまう、ということだろうと

思うのです。

 

武士だから、日々精神鍛錬もしているかもしれません。

それでも、恐怖が恐怖を作る暗示を自分にかけてしまい、

実際恐怖で震えだす。武士でさえ、そういう状態になるということです。

 

リラックス法で、呼吸法や瞑想などがあります。

 

ただやみくもに、心の内だけで、ことをすべて処理して

しまおうとすると、かえってうまくいかないという

好例だと思います。

 

こういう示唆のある話を、福島正則と「茶」の関わり合いを

通して、現代の人に、「心の在り方」を教えてくれます。

 

「心が乱れる」のは誰でも、剛毅な猛将でも

おこってしまう。それは主に自己暗示というものによって。

 

自分の中に埋没しすぎないこと、心の内だけのこととして

処理しないこと、などを教えてくれます。

個別の企業名を出さないように、

気を付けて書きます。

 

やはり少し色眼鏡でみられてしまうことを

書いてしまうので。

 

私が福島へいっていたとき、

多くの企業の方と現地で、会議やら会合がありました。

 

その中で、大震災後の除染活動に関わっている

ある建設会社(ゼネコン)の方と親しくなることがありました。

 

そのゼネコンは、総合研究所をもっていて、

建設技術から、事故対応の法律関係・利害関係研究、

事故のリスクマネジメントなど、

東大や京大の工学部土木学科で、首席だったような方を

あつめた総合研究所だったらしいです。

 

少し古い時代のやり方で、

「発破(はっぱ)」という建設技術があります。

これはトンネルなど作るとき、ダイナマイトで、

岩石を破壊する技術です。

 

これは危険極まりない建設技術で、

発破のため、岩石が飛び散り、

作業員にあたってしまい、亡くなる方も多かったようです。

亡くならないにしろ、大けがを負うことは多かったようです。

 

そのゼネコンでは、どうしたら、

こうした建設現場での事故をなくせるか、

徹底的に調査するため、

付属の総合研究所で、事故にあって大けがをした作業員、

なぜか同じ事故現場にいたのに、無傷だった作業員に、

徹底的な聞き取り調査をしたそうです。

 

結果は分からなかったそうです。

でも唯一、事故にあった人、合わなかった人をわけるものは

あって、それは「事故にあわなかった人の生活スタイルをみると、

宗教心にあつい人が、事故をうまく避けていた」ということだけ

分かったそうです。

 

例えば、毎日神社で拝む、クリスチャンなら

頻繁に祈りに教会に足を運ぶ、などです。

 

これは、総合研究所の研究結果として、

あまりにも「非科学的」という理由でお蔵入りになったそうです。

 

でも、話は漏れ、そのゼネコンでは、

どんな小さな作業所でも、

神棚を置くことにしたのだそうです。

 

私はこれが正しいのかは、判断できません。

でも、そういう見方もあってもいいし、

総合研究所が唯一みつけた一点の発見ならば、

そういうことはあってもいいと思います。

 

実際はどうなのでしょう。このあたりはよく分かりません。

でも、こういう話を聞いたことがあって、

いまだに影響を受けることもあることなので、

記録として、残しておきます。

 

 

 

小野伸二さんというサッカー選手がいます。

小野さんは数あるサッカー選手の中でも

指折りの天才サッカー選手だと言われております。

 

プロのサッカー選手に、本当にすごい日本人サッカー選手は

誰か(誰だったか)?と聞くと、必ず「小野さん」という声で

占められるといいます。

 

今日は、天才サッカー選手、小野伸二さんと

私が経験した天才との相似点、相違点をあげることが

できればいいと思っております。

 

実は小野さんは自身を「サッカーでは大したことない。

自分よりうまいやつはいっぱいいた。同世代にいっぱいいた。

ただ世にでてこなかっただけだ。」といいます。

 

これは繰り返しおっしゃっています。

 

高校時代、同級生は、社会人チームから自分よりうまいのに、

声がかからなかったり、

運悪くケガになかされてしまったり、

サッカー自体をやめてしまったり、したんだそうです。

 

私はこういうことってあるのかな?と思いました。

 

本当にこういうことがあるなら、日本のサッカー界にとって、

金の卵を落として割るに、等しい行為だと思いました。

 

ふと、ふりかえって、

自分が大学院の修士課程にはいったときを

思い出しました。

 

基礎経済学(ミクロ・マクロの理論経済学)専攻の5人の日本人の

新入生と、はじめての講義のあとに、

一緒に飲みに行きました。

 

さあ、これから頑張ろうとしたときです。

ちなみに私がいった大学院は国立で、修士の学生は

日本人よりも留学生が3倍くらい多いのです。

 

日本人は少数派です。基礎経済学のコースの5人で

意気投合して、飲みました。

 

東大の法学部を出たかたもいました。

そして1年間、切磋琢磨していきました。

中でも頭が良かったのは、東大をでたTさん、

そして学部からあがってきたHさんでした。

 

Hさんの天才性は抜群でした。

ミクロ経済学にCOREの定理というものがあります。

これはかなり難解な定理です。数理的であり、概念も難しすぎて

分からない学生のほうが圧倒的に多かったのです。

しかし、Hさんは、

COREの定理、を先生と違う数学理論を用いて、

証明してしまったのです。

 

みなびっくりしました。

 

しかしです。1年たって、丸1年たって、

東大を出たTさんは、大学院をやめてしまいました。

自分には経済学は難しすぎたし、法学に戻りたいといって

辞めました。

 

そして天才のHさんも

丸1年たったら、アパートに引きこもりになってしまい、

学校にこなくなりました。

 

何があったのか?分かりませんでした。

 

私は統合失調症を悪化させ、

破瓜(はか)症状が主症状になりました。

修士まででやめるという条件つきの

お情けで、何とか修士号をとって

やめました。

 

Hさんも辞めたと知りました。

修士論文の提出はなかったため、

修士号は得られなかったそうです。

 

必ずしも大学院で、天才の片りんをみせるから

優秀の名をもって、大学に残り

教授になるわけじゃない、という例だと思います。

 

はじめに書いたサッカー選手の小野伸二さんの話といい

私の修士時代の話といい、

これって、ほんとんど「運」の世界だな、と思いました。

実力はあったほうがもちろんいいけど、

ほとんどが「運」に支配された世界を自分たちは

生きているんだと思いました。

 

何となく、考えさせられますよね。