時間は人類に平等に与えられたものだというが、ブルキナファソに来てそうじゃないと感じた。
正確には、1日が24時間という時間そのものは平等に与えられているけれども、
実際にはどこの国に生まれるかによって、(国というか環境?)最初から与えられている時間は違うと思った。
ブルキナファソに来て、つくづく思うことがある。
生活に非常に時間がかかる。
もちろん、こっちの時間の流れはゆっくりとしているのだけれど、でもあっという間に1日が過ぎていく。
なんか、ほんとちょっとしたことに時間がかかる。
そのちょっとしたことの積み重なりで、一日が気づけば終わっている気がする。
実際に生活してみないとイメージしにくいことなんだけど、例えばね洗濯とかね。
【日本】
洗濯機にぽいっ。ボタンぴっ。終了。
もちろん、洗濯機が回ってる時間は他のことができる。
【ブルキナファソ】
バケツに水ためて、手でゴッシゴシ。
脱水というか、手で絞るのに一苦労。
例えば、料理する時。
うちね、台所に水道ないんさ。(もちろんある家もあるよ)
食べた後の食器、いちいちバスルームのシャワーで洗うわけさ。
台所にしてるリビングから、わざわざ食器を運んで洗わなきゃなわけ。
別に、近い距離なのよ?
でもね、想像してみて。
食べ終わったらいちいち食器をお風呂場まで持ってって洗って、しかも洗った後の水はそのまま流すと詰まるから、一旦バケツに貯めといて、後でその水を庭に捨てるか、トイレに流さなきゃいけない。
1つ1つは、ほんのちょっとの時間だけど、チリも積もればってやつで、そんな日常生活のちょっとしたことに少しづつ時間が取られて、それで1日があっという間に終わる。
今の日本で、洗濯機が家に無い人ってほとんどいないでしょ?コインランドリーもあるし。
もう、ほぼすべての人がそこで時間のアドバンテージを手にしてる。
三種の神器って洗濯機が言われたのを、実際手洗いする生活してて、ものすご納得。
いや、洗濯機ってすごいわ。
洗濯機とか、電車とか車とか・・・。
日々の生活は、本当にたくさんの先人達からの恩恵の上に成り立っていて、それはある意味時間を先人達からプレゼントされていたんだなと思ったのです。
発展=使える時間が増えること
でもあるなと思った。
だからこそ、自分達はその時間に感謝して有意義に使う義務があると思った。
日本にいたころ、「時間術」とかに関する本とか読んで、時間の大切さとか、時間を作りだして自分の知識とかを増やすために使うことの重要性とか認識してたつもりだったけど、
日本と正反対ともいえる、ゆったりした流れの中で生活する今、改めて時間の大切さと自分の成長のために時間使うことの重要性を知った気がする。
だってね、ブルキナファソには、日々の生活に時間がかかることが理由で学校に来られない子供たちがいっぱいいる。(もちろん、理由はそれだけじゃないけど)
長くなるのでそのことについては、次のブログで。
