韓国併合について

韓国併合については最後まで反対していた伊藤博文を、安重根は暗殺してしまった。
銃撃の犯人を知り「バカなやつじゃ」とつぶやいた伊藤の心中は如何ばかりだったろうか。
朝鮮半島にある国家は、(李氏朝鮮にしろ、大韓帝国にしろ)国家の運営方針というか、骨の髄まで染み込んだ処世術のようなものがあるようだ。それは「事大主義」。
事大主義(じだいしゅぎ)とは、明確な信念がなく、強いものや風潮に迎合することにより、自己実現を目指す行動様式である。東アジアでは外交政策の方針として用いられたこともある。
事大とは、大に事(つか)えること、つまり、強い勢力に付き従うことを意味し、その語源は『孟子』の「以小事大」(=小を以って大に事える)の一節にある。(以下略)Wikipediaより
すぐ隣にある中華帝国に代々仕えてきた。それしか生きる術がなかった。
19世紀満州族が中原を征服すると、蛮族の興した国家なので不本意ではあったが仕方なく清に仕えた。
日清戦争で清が敗れると露に仕えた。
日露戦争で露が敗れると日本に・・・
なぜか、日本に仕えることは良しとしなかった。
日本に仕えようという勢力はなくはなかったが、反対勢力により潰されてしまった。
中華思想の華夷秩序により日本は朝鮮より下位と見なされており、下位の者に従うことは良しとしないようだ。
そしてこれは現在も続いている。現在でも韓国では「親日派」という言葉は「売国奴」「国賊」という意味だそうだ。
なぜこれほどまでに「反日」がはびこっているのか。
原因は徹底した反日教育にあるようだ。そしてそれに対して日本側が反論しないことも大きな理由だ。いわゆる「従軍慰安婦」や「徴用工」など日本国内の反日勢力(朝日新聞とか)が焚き付けた問題もある。
解決方法は、問題が起きた時に即座に毅然とした態度で反論することだ。
歴史的事実をありのままに述べること。
朝鮮半島には収奪するほどの資源は何もなかったこと。
道路、鉄道、学校、病院、電気、水道等主要なインフラはすべて日本が整備したこと。
「独立門」は日本からの独立ではなく清からの独立を祝って造られたものであること。
自力での近代化は到底不可能だったこと。等々。
自らの業績を自慢するのは日本人の心情にそぐわないところだが、そんなことを言っていてはますます見くびられ毟られるばかりだ。


辛亥革命と孫文について

中華民国の臨時大総統孫文という人物は非常に魅力的な人物だったようだ。
列強に蚕食される祖国清国を憂い、近代化の必要性から革命=武装蜂起を試みるがそのたびに失敗してしまう。
それでも彼の志に共感した多くの人が物心両面の援助を惜しまなかった。頭山満、宮崎滔天、犬養毅、そして梅屋庄吉。
そして、彼自身は参加していなかった武装蜂起(武昌起義)によって清朝が滅亡すると、選挙で選ばれて臨時大総統に就任した。
しかし、孫文は優秀なプランナーではあったが、実務には向かなかったようだ。著者によれば孫文は新撰組にたとえれば近藤勇であったが、残念ながら土方歳三にあたる人物がいなかった。ということだ。
結局孫文は清国皇帝を退位させることを条件に大総統の地位を清国の軍閥袁世凱に譲ってしまう。


大逆事件と幸徳秋水と徳富蘆花

明治末年に起きた大逆事件。その経緯について著者は時の首相である桂太郎を激しく糾弾している。
「大逆事件」とは、明治43年、社会主義者・無政府主義者が明治天皇の暗殺を計画した容疑で検挙された。大逆罪の名のもとに24名に死刑宣告、幸徳秋水ら12名が処刑された。
しかし、死刑になった者のうち4名以外は(幸徳秋水も)無実であったようだ。
裁判は非公開で大審院の一審のみで結審。判決後6日で刑が執行された。

日本国中が幸徳秋水一味を厳しく糾弾する中、敢然と立ち上がり彼らを弁護した小説家がいた。徳富蘆花(健次郎)。
彼は一高での講演会での講演において『謀叛論』と題して幸徳秋水擁護の論を展開した。
蘆花(健次郎)は立場としては天皇支持者だが、たとえその天皇を暗殺しようと企てた者でも、死刑にすべきではないと主張した。暗黒裁判の可能性を感じ取っていたかもしれない。
講演の終盤で蘆花(健次郎)は「謀叛を恐れてはならない。新しいものは常に謀叛だ」と述べている。著者はこれこそ後世に残すべき名言だと言っている。


この本は今年の10月19日発行である。
あとがきの日付は8月12日になっている。
あとがきの内容は北朝鮮の惨状、近代化できない要因、朱子学の弊害などなのだが…
7月8日に起きた安倍元総理暗殺事件に対する著者の見解を知りたかったのだが触れられていなかった。残念。