【最初に結論だけ読みたい方用】
・知能が低いと個々の違いを無視してカテゴライズしたくなる
・差別の根底にあるのは被害妄想からの恐怖と不安である
・「自分がこんなこと言われたりされたらどう感じるか」想像すべき
・実害があっても、相手のカテゴリーを理由にしない
・差別の芽は誰にでもある、
自分を善人だ、被害者だと思い込むな!常に反省しよう
・主張や要求をする際に
腹立ち紛れの付け足しとして差別をすると本来の目的は伝わらずただの差別となる
知能の凸凹と
セロトニン、オキシトシン不足から来る恐怖と不安感、
感覚の過敏/鈍麻、記憶の整理の特性から来る他他区別の難しさから
わたし自身意識して気をつけないと差別者に陥りやすいのではないか?
わたしこそ常に意識して気をつけよう!

【本文】
日本には差別がないと言われているが…。
日本人が知らずにしている人種差別の「正体」「シャイ」という言葉に隠れた恐れ
暴力等を伴う差別が少ないだけでおとなしい陰湿な差別はある。
多いかどうかは知らない。
外国にもおとなしい陰険な差別はたくさんあるし、
(特に欧米では暴力を伴わない
じめっと陰険なアジア人差別の体験談をよく目にし、呆れる)
むしろ日本よりありそうな気もする。
ただし、日本人は差別をしないというのは間違いである。
↑黒人男性が日本の公共交通機関を用いると満員でも誰も隣に座らないという、差別と声も上げづらいちいさな差別
差別には自己正当化と、自分が善良な被害者だというガンとした思い込みが伴う。
コメント欄が恐ろしく醜いのでそこも見てほしい。
匿名での書き込みは(アスペルガーにはわかりにくい)言語化されない本音の言語化だと捉えている。
(話しはズレるが
わたしは言語外コミュニケーションが苦手なのに、
人には本音と建前がありその言語ですら信じられないって無理ゲーすぎる
どうしたらいいのか…

外国人差別でいうと…
職を何度か変えたが、外国人同僚がいることが多いので隣にいるわたしも経験することがある。
たしかに暴力を伴った激しい差別に遭遇したことがない。
外国人女性と一緒にいるとときどきあるのは見下し、小馬鹿にした行為。
口真似をしてからかってきたり嘲笑ってくること。

わたしの場合何故か一緒に働く外国人の若者ってこれまでの人生でのべ20人くらいだが…
育ちも良く、人柄もオープンで優しく物腰柔らかで情緒も安定していて勤勉。
本国の大学を卒業して日本に留学してトリリンガル、それ以上のマルチリンガル…
みたいな層が多い。
外国人!ってだけで自動的に
からかいや下品な言葉をかけてくる人がすごくバカに見えてしまう。
(優秀だから差別してはならない、優秀じゃなければ差別していいわけではないが、
外国人=バカだと思い込んではやしたてる人がめちゃくちゃバカに見えてしまいます…)

精神障害者や知的障害者施設が近所にできると反対運動が起こるのだが
精神障害者のグループホーム(グループホームって住まいですよ!!)が出来ると
地域住民が「子供達の安全を守れ!」という旗を立てるらしい。
反対運動の是非はさておき
このセンス、誰も反対しなかったのか!?
こういうのを見てしまうと
どちらが正気なんだ!?と皮肉の一つも言いたくなる。
地域住民の誰ひとりも、
精神障害者を犯罪者予備軍扱いすることや
子供を盾や叩き棒に使うこと、
ただでさえセンシティブな精神障害者がこの旗を見てしまったら
どんなに傷付くだろう
どんなに怖いだろうと
想像もしなかったことが怖すぎる。

わたしが子供のころは、
知的障害者を集団でからかったりはやしたてて怒らせて面白がる遊びをする子供が多かった。
子供達にはやしたてられていつも怒って追いかけていた知的障害者の女性…。
もし、子供達が彼女を
普通の近所のお姉さんとして扱っていたら、
(「こんちは」と挨拶するなり、
シャイな少年なら何も言わず通り過ぎるなりそれぞれだが)
彼女は「子供を追いかけ回す知的障害者」
にならなかったように思えるのだが…。

車椅子の方が朝夕のラッシュアワーに公共交通機関に居ると、
なんでこんな時間に!
とキレる人が苦手だ。
あなたと同様に移動したいからここにいるんでしょうが!
わたしの知るかぎり身体障害者の方は優しく遠慮深い方が多いので、
(また、本人の危険や不快のため)
公共交通機関やラッシュアワーを時間やお金を費やしてでも避ける方が多い。
それでもその時間に乗らなくてはならない事情があったろうに。
(ただし、身体障害者全員が優しく控えめで努力家だと思いこむのも差別だと学校で教わった
かなり性格ワルイ障害者さんもずるいところのある障害者さんもいる
人それぞれなのだ
しかし、全体としては控えめで遠慮深すぎるくらいの
方が多いと感じる)

問題は、
・相手の立場になって想像しない
・それをしたことによりどうなるか想像しない
・マイノリティをひとかたまりの同一イメージに集約させ、その中でもひとりひとり異なる人格があることを想像しない
想像力の欠如
にあるのだと思う。

知能が高くない方は、
多様性、複雑性に耐えられないので
カテゴライズでひとまとめにしやすい。
わたしの場合、知能に凸凹激しいから
低いトコは超ーおバカ!低いのです!!!!
気をつけないと!
他者への恐怖心の強い人はありもしない被害妄想で自己を正当化して他人を攻撃する。

アスペに想像力の欠如を咎められてもねえ(笑)
夫氏なんかは、
わたしがこういう話をすると
お前が一番人をリスペクトしてない!
人と人との区別がつかないお前にわかるわけない!!
とハッキリ抗議してきます。
そこなんだよね…。
わたしは軽い相貌失認がある上に
固有名詞の記憶に難があり、
おまけに記憶の整理に障害があるので、
他人と他人の区別がつかず
ほとんどの人が
みんな同じ
に見えてしまうのです。
他人への恐怖心も非常に強い…。

これだから、
わたしが本当にわたしらしく咲くには
一度死んで
定型発達者に生まれ変わる以外ない…!
なんて考えてしまうのですが。

まあ、
わたしの場合認知機能に弱さがあるがそれはさておき、
他人を先入観で見るな
あるカテゴリの人を同一化するな
相手の気持ちを想像してみよう
と思います。

そして
差別解消で一番大切なことは、
差別(違いに怯え、排除したくなる気持ち)は
90%以上の人に本能的にある
(人は群れの動物なので
毛色の違う仲間は脅威と見做す本能がある)
つまり
差別の芽は自分にもある
(勿論、わたしにもある)
と自覚して、
芽のうちにこまめに反省して摘み取ることです。

それから、正当化、自己弁護も誰にでもあることで、
わたしからすると差別と同じくらい醜い、みっともないことです。
ネットでは省かれることが多いが、
リアル差別実例だと声高に差別する人のほとんどは
何を差し置いてもまず真っ先に
最初に自分は差別者ではない、
障害者の家族とか○○人の友達もいるor
これはあなたが○○人だからではなく私が正当な被害者なのです
的なご挨拶をしてから、
「うんうん、もちろん障害者であっても○○人であっても
不手際や逆差別も悪いし聴いてみよう」とうっかり思うと
単なる幼稚で口汚い差別中傷を展開してくるので、
差別と同じくらいこの正当化、自己防衛プロセスが醜い…。
いい歳こいた、それなりに社会的地位もありそうな人が、
自分の年齢の半分以下の外国人のお嬢さんを口汚く罵るために
わざわざ鎧を着込んで見せるのだから呆れてしまう。

それに万が一元々は純粋にクレームであっても、
(1/99は言い掛かりですが、確かに不手際とか
マイノリティだから気付かなかったことも実在する)
この手のヤカラは話すうちにヒートアップして
単なる差別中傷と化すので
聞いてもらえなくなるのだと考える。
わたしは会話は目的を把握しておくことが大切だと思っている。


障害者や外国人に限らずマジョリティ同士の会話でも、
(わたしは実生活では一部しかカミングアウトしていないのでほぼマジョリティの立場です)
本当に伝えたいことに余計な付け足しをしたばかりに目的が達成されないことはよくある。
たとえば何か置きっぱなしになっていたとして、
それを指摘すればいいのに
わざわざ容姿罵倒や人格否定ワードを付け足しして話がおかしくなる人。

差別や言い掛かりではなく、
純粋に異性や外国等や異なる立場の人に
主張や反論、要求などがあるときに
付け足しとして差別をすると
話全体がたんなる幼稚な差別にしかならなくなるのもよくある話で。
これも自分でも気をつけなきゃ
わたしも余計な一言が多い



本日のまとめ
・知能が低いと個々の違いを無視してカテゴライズしたくなる
・差別の根底にあるのは被害妄想からの恐怖と不安である
・「自分がこんなこと言われたりされたらどう感じるか」想像すべき
・実害があっても、相手のカテゴリーを理由にしない
・差別の芽は誰にでもある、
自分を善人だ、被害者だと思い込むな!
常に反省しよう
・主張や要求をする際に
腹立ち紛れの付け足しとして差別をすると
本来の目的は伝わらずただの差別となる

自戒を込めて、です!!
わたしはどうやら
認知機能と記憶の整理に難がある上に
セロトニンとオキシトシン不足で恐怖や不安を感じやすい。
放っておくとどんどん人々が
寄り集まって溶け合い
ひとかたまりの悪意の集合体
になってしまう。
そこをきちんとメタ認識して
なるべく個々を切り離して
世界にはたくさんの美しい花が咲いていて
ひとつひとつ色も形も香りも異なる…
どれひとつとして同じものはない
と常に自戒しておかなくてはならないから。