『娘が発達障害と診断されて・・・母親やめてもいいですか
コミックエッセイ
絵・にしかわたく 文・山口かこ』
貴重な発達障害児の子育て失敗本。
懺悔の本。
ディスコミュニケーションの悲劇。
私は、この本は出版されるべき貴重でユニークな書籍だと思う。
著者さんの仰っているとおり
”強くて優しい障害者のお母さん”の感動本ではない、
発達障害児の赤裸々な子育て本として、
参考になったり、反面教師にしたり。
みなさん、本を出すというと
成功体験とか、感動ストーリーになりがちだが、
そういうよくある本ではない。
発達障害当事者が読む本としては、
ある程度大人で心の強い方以外にはおすすめしません。
私なんて42歳ですげえ開き直っているほうですが、
アスペルガー症候群の子供”たからちゃん”
(ここに私は美少女妄想を入れるぞ、チビ波バージョンの綾波レイみたいな)
に感情移入や肩入れしてしまって、
途中怒りや涙が止まらなかった。
(発達障害の症状は十人十色なのですが、
この本のたからちゃんはかなり私と症状が似ているというのもある)
精神有害注意!
ただし、私は読後は一種の
爽快感?寂寞感?カタルシスかな?
を感じた。
あらすじ
母子家庭の子供として育ち、
普通の家庭に強い憧れのあるかこさんが授かった一人娘たからちゃんは
広汎性発達障害。
キラキラ療育ママにあこがれ
熱心にたからちゃんの療育に取り組むが
たからちゃんの将来の不安に押しつぶされ
たからちゃんを次第に可愛くなく感じ、
鬱状態からネット徘徊、ネット依存、不倫、あやしげな宗教に溺れる日々。
結果、たからちゃんが6歳のときに離婚し、
たからちゃんはだんなさんが引き取りることに。
”仕方ない
微笑んだら微笑み返してくれる
親子の愛情はそうやって育っていくのだから”
特に胸を打つのは、かこさんとたからちゃんの別れのシーン。
ママと別れるとき、
6歳のたからちゃんはわけもわからず、
「バイバーイ!」と手を振って。
そんなたからちゃんを見て、
「ほらね・・・たからは
寂しいとか悲しいとか思わないんだよ
6年も一緒にいたのに
広汎性発達障害の子は
人に愛着を持ったりしないんだ
たとえそれが母親でも」
「でも、私だって同じ
いつもそばにいたたからが遠くへ言っちゃう
なのに涙が出てこない」
「仕方ない
『微笑んだら微笑み返してくれる
親子の愛情はそうやって育っていくものだから・・・』」
酷いよ、あんまりだ。
(定型発達でもたった6歳なら両親の離婚がよく理解できない子も
ふつうにいると思うのだが・・・
と突っ込みをいれたくなる)
離婚後8ヶ月経ってたからちゃんに再会し、
たからちゃんが
「・・・ずっとだと思わなかった
あっちのおばあちゃんちにずっといるんだと思わなかった
すぐおうちに帰ってくるのかと思った・・・」
(小1ですよ!
知的障害のない、受動型アスペルガー症候群
この本のたからちゃんのやりとりを見るに、このままいけば
成人までに寛解してしまいそうに心が育っているように見えるけど・・・
ちなみに誤解が多いけど、
発達障害児は発達しないというわけではありません
ふつうになることはないけど発達の仕方が独特なだけで成長はするし心もある)
1週間すごしたあとのお別れのときにだまってうつむくたからちゃん・・・。
お母さんと別れた後黙って涙をぽろぽろこぼしていたたからちゃん。
かこさんはやっと自分の過ちに気がつく。
愛情がないと考えていた我が子、
愛してくれない相手を愛せないと思っていた我が子。
心がないのはどっちだ!?
2歳のときのらくがき帳、たからちゃんが最初に練習したひらがなは
(普通の子が最初に覚えがちな・私の娘もそうでした)
かんたんな「し」や「く」ではなく、「ま」ママの「ま」。
私もですが、コミュニケーション能力、低いんですよ。
出入り口のない狭い地下室に閉じ込められたまま、
なんとかつながろうと苦しんでいるんですよ。
それを、ふつうの子みたいに
動物園で一緒にゾウを見てくれないとか、
友達と遊びたからないとか、
微笑んだら微笑み返してくれないとか
そんな理由で心が通じないだの、
人とのコミュニケーションがむずかしい発達障害児の将来は不幸に決まってるだの、
ふつうの子みたいな感情がないだの決めつけて、
挙句の果てにこういう障害があるとわかっている小さな子に
愛してくれないから愛情が持てないと。
私と私の母もこんなやり取りが多かった。
子供のころは低緊張からか多動が多かったし、
母の望むような可愛らしさもなく、
夜尿はいつまでも止まらず、
ピアノも弾けなかったし、
友達もまともにできなかった。
本ばかり読んでいたから小1で大人の読むような本が読めた。
(家にあった世界名作文集の読んでた
『白鯨』『嵐が丘』『罪と罰』・・・
なので当然小1で小6の教科書が読めて上級生に驚かれた
ちょっと退行したのか、小さい頃子供向けの本が家にあまりなかった反動か、
小学校中学年以降はリンドグレーンやモンゴメリ、青い鳥文庫などの児童文学に夢中になった)
身に覚えがないのに、
「お前は親を馬鹿にしている」
「私に何の恨みがあるのか」
と怒られ、よく殴られた。
(この本にもかこさんがたからちゃんを気に入らなくてぶん殴るシーンがある)
でも、それは30年以上も前の話。
私は自分の母は責めない。
昔のことだから、発達障害の概念も広がっておらず、
私が知的障害のないタイプの自閉症だと指摘する者はひとりもいなかった。
変な子、嫌な子、気持ち悪い。
きっと母親が教育ママで見栄から不適切な躾をしているんだ。
周りの人はそう考えただろう。
実際その論調を大人の口から聞いたこともある。
(記憶力いいんですよ)
そして、絶望的に可愛くない。
クリスマスイブの日、ママが
「どんなお料理がいい?」
私「おいしい料理」
ママ「他には?」
私「きれいな料理」
ママ「ママの料理なら何でも良いとか、
ママの愛がこもった料理とか言えないのか!!」
(殴)
というやりとりを覚えている。何歳のころだったかな?
これで怒るんだから小学生以降だろう。
それでも私の母は私を捨てたりはしなかったし、
川下りとか、川原遊びとか、子供の国とか、連れ歩いては遊んでくれた。
(水遊びの記憶が多いのは発達障害あるあるで水が好きだったのか?考えすぎか?
水死率高いらしい←わかる!水好き、物理的距離感おかしい、運動神経悪いがあるあるなのでいかにもヤラカシそうだ
ので、発達障害児をお育てのお母さんは気をつけてあげてください)
現代で、発達障害の概念も広がり、
療育の環境も昔より整っていて、
こんなに可愛いおとなしいタイプの受動型アスペルガーの
たからちゃんを愛せず、抑うつ状態になり
手放してしまったかこさんを考えると、
私の母親は孤軍奮闘でとても頑張った、
頑張りの方向は置いといて(笑)、
彼女も強く美しい女性だった
と思う。
しかし、かこさんも責める気になれない。
ふつうの子供、愛情いっぱいのふつうの家族に強い憧れがあったんだね・・・。
たからちゃんをふつうに幸せにしたいと、
頑張っていたんだよね・・・。
いったい、私達は何のために生まれてきたのだろう・・・。
あとひとつ、言っておきたいことは、
アスペルガー症候群は記憶力がいい人が多い。
そして、心とは、記憶→受信→発信
の順に育つのだと私は考える。
発信機能が低いと、
「この子どうせわかってないからーw」
と考えひどい待遇をするものがいるが、
意外と発信機能がないだけでよくわかってたり、
発信機能も受信機能もなくても、
私なんかも、
そのときの記憶だけはしっかりしていて、
後から意味に気づくことも多い。
(意味がわからないのに記憶できる能力は自閉症では高いようだ)
(また、日本語が話せない外国人にわからないと思って悪口を言いまくったら
実はヒアリングはできていてクレームになったというニュース記事を見た、
定型発達の人もそういうところ、聞く→話すの順序とかはあるのではないか?)
きっとひとつひとつのつらい出来事も
別れの痛みも
生涯たからちゃんの胸に残る傷になるだろう。
かこさんの素晴らしいところ、
かこさんに感謝したいのは
この本をこの形で出版したところだ。
これはディスコミュニケーションの物語。
発達障害児の子育て失敗談。
あとから自分の過ちに気がついたところ。
これはなかなかない、すばらしい能力だ、
一応言っておくが嫌味でいっているのではない、
人はふつう自分の過ちに気づかない、
気づいても認めたくないものだからだ。
そして、自分を悪役としてこの本を書き上げたことがかこさんの優しさや強さだと感じる。
よく読むとたからちゃんはどこまでも健気で可愛らしく、
かこさんが毒親扱いしていたかこさんママはユニークでさっぱりしたかっこいい女性で、
離婚した夫はのんびりしていて変わり者だけど優しく愛情深く書かれている。
おそらく著書はわざとそう書いているのだろう。
これは、私には懺悔の本に見える。
かこさんもあまり自分を責めすぎないでほしい。
ほかの記事でも書いたが私は
本当の悲劇には悪人はいない
と信じている。
もし悪人がいたら、少なくとも精神的には
そいつが悪いで終わってしまうが、現実はそういうものではない。
みんな犯人探しをするが、本当は犯人などどこにもいない。
ただ人と人とのディスコミュニケーション
があるだけなのだ。
それは定型発達-発達障害に限らず、
定型発達-定型発達でもありうるし、
発達障害-発達障害でもありうる。
だからとても悲しい。