つい先日まで梅雨寒だったのに今日は関東も夏のような暑さです。
そんな今日は妻との20回目の結婚式記念日です。
グアムで挙式してから20年ですが、あの日あった出来事はそんな年数経ったとは思えないほどよく覚えています。
先日、妻に買ってもらった時計をオーバーホールしてもらいました。
妻とは僕が50歳になる年に記念もかねてオーバーホールしようと話していました。
そうです、今年50歳になります。
50歳は人生の折り返しとはよく言われますが、僕からしたら50歳が折り返しだとしたら先が長すぎて思いやられます。
以前、白髪が増えたといったことを書いたように思いますが、今や「白髪が」とか気にしなくなりました。
若くいる必要もないのだから、歳を取るなら取ればいいじゃないかという気持ちになっています。
思えば妻は歳を取らない人だったなぁと写真を見るたびに思います。
人間ですから当然歳は取ってはいるのですが、いつの頃の写真を見ても年齢不詳です。
それに比べると僕はだいぶ老けた気がします。今、妻が隣にいたらアンバランスに見えるかもしれません。
僕がたまたまそれに気づいただけなのかもしれませんが、映画でもテレビドラマでも最近、妻を喪くした男という設定が多いように思います。
気持ちが分かるなと思うこともあれば、ちょっと違和感を覚えることもあります。
先日まで放送していた木村拓哉主演『未来への10カウント』の主人公は若い頃にボクシングの夢を断たれ、妻を病で喪くし、仕事もコロナ禍でなくしたという設定でした。
劇中に不幸話比べというエピソードがあり、主人公が不幸話の一つとして妻との死別を挙げていました。
確かに死別を不幸だと捉える人もいるだろうし、そちらの方が多数派なのかもしれませんが、僕自身は妻との出来事で不幸と思ったことは一つもありません。
むしろ、あれだけ素敵な人と同じ時間を過ごさせてもらった僕は幸せ者だと感じています。
妻にとっては相手が僕で、しかも早世したのですから不幸だったかもしれませんが
ちょっと前に放送していた『妻、小学生になる。』は亡くなった人を大切に思う気持ちも、一歩ずつ歩き出していく姿も丁寧に描いていて好印象でした。
ああいう展開だと亡くなった人を想い続けないといけないみたいな、残された人を美化しすぎる作品も多い中、そうでなかったのも良かったです。
今日はお休みをもらい、久しぶりに南部市場と三井アウトレットパーク横浜ベイサイドに行ってきました。
以前は妻や先代チワワちびたんと毎月のようにあの近辺をドライブしていたのですが、妻の病が進んでからはずっと足遠くなっていました。
どちらの施設もリニューアルされていて「ああ、こんな風になったのか」とちょっとした驚きでした。
こういった場所への買い物はいつも妻がそばにいましたので、より強く妻の不在を感じます。
マラサダやハワイアンプレートを買ってきましたので、今夜は妻が大好きだったハワイ気分で家族皆でちょっとしたお祝いをして過ごします
あと1か月ほどで、4回目の命日がやってきます。