妻の病気がかなり進行してきた頃、体調が悪くてイライラが募ったのでしょうか、妻からのLINEで

「もう諦めて下さい」

とメッセージが来たことがありました。妻が命を削る辛さに耐え、なおも生きようと必死に頑張ってることは側にいて分かっていたので安易に返信することが出来ず、どうしようかと思案していたところ、しばらくしてから

「さっきはゴメンナサイ。本当はあっちゃんにも諦めて欲しくないです。体調が悪いと拗ねちゃうんです」

とまたメッセージが来ました。

これほどまでにがん患者の気持ちは常に揺れていますし、患者の家族もその波にさらわれることが多々あります。

 

標準治療から見捨てられ、がん難民となってしまってからは特にその揺れの頻度は増し、振幅の幅も大きくなりました。

これからどうしようかって考えても、これまでの病院はもう打つ手なしと治療らしい治療はなく経過観察のような形になりますし、いずれこのことも書こうと思っていますがホスピスのための病院探しも難儀し、それでも容赦なく病状は進んでいくのですから。

 

結局僕たちの選んだ道は、これまでの病院にも通院し、ホスピス病院探しを続けた上で、なお他にいい治療方法はないかと別の治療方法も探すということでした。

これは積極的・自発的にそうしたというよりは、それ以外の道がなかったというのが実態です。おそらくは僕ら夫婦と同じようにがん難民となってしまった患者さんやご家族は同じような状況に置かれている方が多いんじゃないでしょうか。

 

妻は自分の病気について調べること自体が恐怖やストレスになっていましたから、他の治療法を探すのはもっぱら僕がインターネットを中心に情報を集めて、問い合わせして、少しでも可能性があれば妻を連れて行くという形でした。

向かった先で何度もダメ出しを喰らい続けましたので、病状が進んでいた中でしたので妻にとっては体力的にも精神的にもキツい仕打ちになってしまっていたはずで、それは今でも申し訳ないことをしたと思っています。

行った先でも「もう治療自体は諦めて、いかに今の状態を長く持たせるか、そちらを考えた方がいいのではないか」と言われたりもしました。

でも、そうするにしても、これからどうすればいいのか、これまでやって来たことから何を変えたらいいのか、ずっとモヤモヤと抱えていたそれらの疑問が解決されることは結局ありませんでした。

 

妻も僕もどこまで頑張ればよかったのか、そもそも僕たちは無理して頑張っていたのか、妻が亡くなった今でもその答えは出ていません。

標準治療で治ればいい。でも、治らなかった時は答えのない問いを常に突きつけられたまま生きていかなければいけない。それくらい大変なことですし、だからこそ「がん難民」と言われる所以でしょう。