縄文火炎土器の複雑な芸術的形は何故なのか?使うには不便だ。食べるための器でなく祭り事に使ったという説もある。
ヨガの達人のハンド・パワーや仏教の高僧のお経で水の味が変わるという実験をかつてテレビでしていたことがある。私もそういう実験をしたことがある。確かに水道水がまろやかな味になる。
私は目でオーラは見えないが見える人もいる。イスラム教徒が豚肉を食べないのは癌のオーラと豚肉のオーラが同じ色だからだと説明していたオーラ・ヒーリングの達人がいた。
おそらく自然と共に生きていた縄文人は現代の我々よりオーラが見える人が多かったと思いますね。または、皆、見えていたかも知れない。
縄文火炎土器を含めた複雑な形の土器は、食べ物により強い生命力を与えるために食べ物のオーラを強化するためのものだったのではないだろうか?そして食べ物で食あたりしないためのものだったのではないだろうか?
形がパワーを与えることの有名な例がピラミッド・パワーですね。ケルトの渦巻き模様もそうなのかも知れませんね。
オーラとか「気」の見えない学者がいくらいろいろ考えてもトンチンカンな推測しか出来ない話しかも?そういうことって多いですね。