「祈りから始まり、呪いで終わる。彼女たちを裏切ったのは、ボクたちではなく、寧ろ自分自身の祈りだよ」
「どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかの歪みを生み出す事になる。やがてそこから災厄が生じるのは当然の摂理だ」
「そんな当たり前の結末を裏切りだと言うなら、そもそも願い事なんてすること自体が間違いなのさ」
「当然だよね」
/人◕ ‿‿ ◕人\
あ”?
条理ってなんだ。
ハイ、アッチパパです。皆様コンバンワ。
いきなりなんだと思われた方もいると思います。はい、キュウ○エです。
何故こんな書き出しかというと、昨日奥さんと大喧嘩しました。
(昨日載せました記事は、削除しております。「イイネ」を下さった方々、コメントをくれたフォロワーさんには感謝と共に、謝罪致します。でも、奥さんは頂いたコメントを見て、「私の思いを代弁してくれた。ありがたい」と話しておりました。本当に、本当に感謝いたします。)
きっかけとなるエピソードを前回の記事で書いたのですが、それは改めて見るとあまりにも奥さんの尊厳を踏みにじっていると思ったので削除致しました。本当に申し訳ありません。
さて、大喧嘩をした後、思った事がキュウベ○のこれなのです。
私と奥さん。定型発達と、非定型発達。それだけじゃなく、あらゆる夫婦に、私は思うのです。
共依存しちゃ、ダメだよ。
「愛している」
から
とか
何しても許される訳ではないねん
親しき仲にも礼儀あり。
家族だからこそ、最も近いパートナーだからこそ、相手を尊重し、一個人として、その存在を尊ぶべきなのです。
私は奥さんに依存しておりました。
最も近しいからこそ、最も理解してくれる事を望み、共感してくれる事を願ったのです。
だから共感を得られないと、激怒してしまう。
自分が思っている事、感じている事、それらを、鏡を映すかのように投影されてほしい。
自分の最大の理解者なのだから、それが当たり前。
そう、無意識に思っていたのです。
自分の両親と同じです。
先日亡くなった祖父は、祖母と共依存しておりました。
祖母は、「あんな男早く死ねばいい」と言いながら、
祖父の事を愛し、世話を焼き、その最期まで面倒を見たうえ、涙を流しました。
祖父は、
「俺は死ねばいいんだろう?!みんなそう思っている」
と卑屈に言い、祖母を憎みました。
その原点は
自分を理解し、共感しれくれない。という、
祖母への愛情が反転した、憎しみでした。
私がしーちゃんに持っていたものと同じです。
私は、しーちゃんの存在を自分の所有物のように扱い、
『自分があるから、しーちゃんが生かされている』と、
生意気にも神様のような事を思っていたのです(無意識に)。
愛する家族であっても、それは、自分の所有物ではない。
父親という立場ならば、家長という立場であり、その家で一番偉いと勘違いしやすい。
しかし、父親という『役目』を天から得ているだけであり、何一つ家族より上ではないのです。
だって、自分より、子どもの方が、もしかしたら神に近しいレベルの魂を持っているかもしれないでしょ?
ただ現世の先輩として、現世の生き方を教える役目を持っているだけで、子どもの人生を支配する、資格などないのです。
もちろん奥さんを支配する資格もありません。
愛しているから、共感をしてくれない事を、理解をしてくれない事を恨むのは、キュ○ベエの言う『条理』にそぐわないのかもしれません。
共依存はダメ。絶対。それは甘えです。
家族といえど、奥さん、子どもといえど、一人の人格であり、尊厳を冒すことは、許されません。
家族だから、怒鳴っていいなんて、あり得ないのですよ。
愛情があるから、その者の将来を思って怒鳴るのは正当。なんて思考は、愛情にかこつけた虐待ですからね。
さてさて、我々夫婦でブログをしています。
奥さんのしーちゃんのブログです。
最近お悩み相談も始めました。
発達障害当事者だからこそ、同じ当事者の気持ちに添える。
私は定型なので、彼女の様にはいきません。
些細なことでも、お受けしますよ