自分の軸を整える | 銀河の羅針盤

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スピリチュアル・ヒーリング・アーティスト
天然石ジュエリー作家

センタリングする。とも言う。

 

世の中が大きく揺れている今、(揺らされまくった結果、疲れた。)

自分の軸を整える!と言う項目が、大きく浮き彫りになった。笑

(センタリングのノウハウは、検索したらたくさん出て来るかと思うので、ここでは紹介しないけど)

 

 

 

 

と言うのは、

世の中が嘘と欺瞞が当たり前のように罷り通っていることが、私にとってかなりのショックを与えていて、(アメリカの騒動とか)

個々の人々の影の部分がクローズアップされたかのような恐怖に対面した。

もうね、頭と心が混乱しまくり、逃げ出したい気持ちになった。

 

 

まぁ、そういう闇を『認識して行く』という時期だから、宇宙からしたら『計画通り!』なのだと思うのだけど。

 

上記のような文でイメージするのは、

陰謀論的な(しかも殆どが事実として浮き彫りになりつつある)話を想像するかと思うけど

世の中のマクロ的な流れは、人、個人の中の(ミクロ)あり方が反映しているものだから、

世の中の動きと同時進行で、個人の動きもクローズアップしてくる。

 

私の個人的な知り合いの中では、全く変な人はいないんだけど、

その周りで起こるいざこざを肌で感じた。

 

考えてみれば、世の中に放映されている映画やドラマって、疲れる内容なものばかりだな。。。と思う。(なのでアニメが好き)

 

普通にシンプルに(思考に)なれないのか?

 

 

 

 

ここで、話がズーーーと昔の自分の話になるのだが、

自分自身の軸を再確認するために書くとする。

こういった『自分自身』を確認することは必要なことだと思うので、

読んでくれている皆様にもオススメします。

 


 

私が知っている私自身の一番幼い頃のスピ的な話は、

 

『あっちぃね、英語人と結婚するの。』

と、3歳の頃に鎌倉の山を登りながら父に話をしていたらしい。

 

 

英語人って、、、笑

 

まあ、その通りになったわけだが。(ただ今アメリカ在住です。)

ちなみに『あっちぃ』というニックネームは、小さい頃に『あたし』と言っているつもりが他の人には『あっちぃ』に聞こえていたことから『あっちぃ』と呼ばれることになったという、母談。笑

 

幼い私が、英語人と結婚すると思ったのは、『直感』的なものなのだろう。

 

『あなたは、素直さ(だけ)が取り柄なんだからね。』と、母から何度も言われ続けた結果、

超素直な人に育ちました。笑

 

 

 

私個人のことでいうと、

私自身、スピリチュアルな分野でお仕事している。

それは、私自身が『私らしくある』ことで、それが『仕事』となるからで、

生れながらに『精神世界性』を重視していた自分が選んだ『仕事』である。

 

自分の直感に従って物事を選択して行くというのは、

小さい頃から当たり前だった。そうでないやり方を知らなかった。

 

なので、学校という箱の中では、うまくいかなかったのは言うまでもない。汗。

 

そういう箱の中で上手い具合に揉みくちゃにされて、成長して行くわけだが、

どんどんネガティブな思考になって行くわけですよ、これが。

他者がどう感じているのか、どう思っているのか、めちゃくちゃ気になった。

この時点で今でいう、『エンパス』な子だったのはいうまでもなく、

引っ込み思案で地味ーーーーーーな、しかも、目立つ子。

 

『素直なだけが取り柄』なので

先生の言うことも大人の言うことも素直に聞いてましたよ。ほんと。

しかし大人の理不尽さも浮き彫りになったのもこの頃かな。

 

 

 

 

 

 

ひとりでいると、

ポジティブに戻る。

 

自分の中のウキウキ、ワクワクにフォーカスするから。

 

色んな想像を膨らませて、楽しくなる。

たくさんのストーリーが出来上がって行く。

 

物心ついた頃には、漫画家になりたいと真剣に思っていたくらいだ。(これは他にやりたいことが出来て、自然消滅した)

 

この頃は、鍵っ子だったので、『ひとりでいる』と言う時間が多くあった。

今思えば、これも『計画通り!』なことだったのではないかと思う。

ひとりでいると言う時間が私自身を救っていたのだ。

大好きな母との時間も宝物で、あまり一緒に過ごせない中、時間が出来たら大いに甘えたのを覚えている。(母子家庭なので母は忙しかった。)

 

 

ひとりでいるのが寂しいなんてことは、なかった。

『私には神様たちがいてくれている。』と言う当たり前のことが、心強かったのだ。

 

私は特別で、私は神に愛されている。

私は、光であり愛である。

 

と言う概念が当たり前にあった。

 

特に宗教に属しているわけではない。

マリア様も、イエス様も大好きだし、

神道の神様たちも大好きだし、

仏教の神様たちも大好きだし、

それぞれがそれぞれのお役目をしていて、

しっかりと私も見守られていると幼い頃から素直に感じてた。

 

 

ちなみに『特別』と言うのは、幼い頃はぼんやりとした概念だったけど、

『特別』と言うのは、『私は、私。』と言うただ唯一の存在である。と言うことである。

 

誰も私の代わりになど、なれないのだからね。

 

これが、私にとっての『真実』なのである。

 

私は特別で、私は神に愛されている。

私は、光であり愛である。

そして私は、真実である。

 
 
 

 

 

そう言う思いが、根底にあり、

外側から受ける『ネガティブ』なエネルギーからなる思考は、

ある時期になった時に『メンドクセーーーーーー!!』

と、放っぽり出した。

 

 

私は私なのだから、勝手にあれこれ言うとけばいいわ。私はあなた達に構わない。

 

となったわけです。中学生に上がる頃かな。

 

 

中学生の頃は、とても楽しく過ごした。

新たにやりたいことも出来たし、宝となる出会いも沢山あった。

 

 

 

 

高校生の頃には、『お役目』を自覚して宣言するまでに至るわけだが、

神様に対する『反抗期』も もちろんありました。

今思えば、実親に対する反抗期はなかったな。

私にとっての親って、もちろん実母もそうだけど、神様達が親みたいなものだったわけだな。

 

具体的な存在が個としてそこに見えているわけではなく、

漠然と私は神に愛されている。

そして多くの見えない存在達があちこちから手を差し伸べてくれている。

と言うのを肌で感じていた。

 

 

何かウジウジと悩んでいる時の解決法。

 

 

『宇宙から見た地球って、こんなに小さいよね。

その小さい地球の中の日本って、もっと小さいよね。

その中にいる私っていう個人って、どんだけ小さいんだろ。

その小さい私のちっぽけな悩みって、宇宙からしてみたら、

無いのも同じだわね。うん。手放しちゃお。』

 

というお悩み解決法を実践していたのは、10代の時からだったかな。

 

そうすると気がついたら悩んでたこと自体が勝手に解決していることが殆ど。

足掻くより、手放した方が、上昇するっていうもの。

 

 

物事を外側から受け取るんではなく、

自分の内側から外を見てみる。

それも第三者的目線で。

(イメージ的には、内側にいる自分と外の外側にいる自分と何人かいる感じ)

 

私は私。

外は外。

 

なのだ。

 

 

『私はどういう風に物事を捉えてどう生きて行こうか。』

というのは、選択できることなのだ。

 

エンターテイメント的に、外側の物事の動きに乗ってみてもいい。

ハラハラドキドキ。うわーーー。こえええ!!

 

ってなるのもいい。

でもそれは、

エンターテイメントを楽しんでいるということを忘れないで、

 

一通り(恐怖を)楽しんだら、しっかりとそこから降りて、

自分に還ろう。

 

自分に戻るというやり方は、瞑想したり

好きな音楽聴いたり、

自分自身が安心する心地いい場を確保したり、

ゆったりと過ごすことをオススメする。

 

 

 

 

私は多分、周りの方達にかなり気を使う。

色々と気を張り巡らせて細かいところに気づいたりもする。

気づいたことに関して、どう対応するかも考えるが、

考えに考えた結果、『放置する』が一番良い解決法だということも多々ある。

 

気づいてないフリをする。

その人自身が自分自身の力で解決するのをサポートするつもりで『しゃしゃり出ない』

その人の本領発揮を信じる。

 

 

そういうサポートの仕方って、

他者からは見えないもの。

それはもちろん評価されないし、苦しくなることがしばしば。

しまいには、『放置された』と怒る人もいるかもね。

 

謂れもない悪口を叩かれることもあったりするけど、

勝手に私じゃない『あっちぃ像』を作り上げられて、それに対しての悪口なので、本体である私自身はちょっと悲しくなるだけで(笑)私自身を知っている方々からしたら、その悪口は『はぁ?』となるだけのこと。

 

そんなことに疲れたら、ちょっと一休み。と、

ゆったりできる自分一人の時間を過ごす。

(今回は、ちょっと長く休憩してた)

 

 

 

そういう風に自分を自分自身という軸に戻して行く。

自分自身を労わり、

褒めて、愛して、

栄養補給する。

 

他者の評価が立ち入れない

自分自身の領域を感じよう。

 

 

そうすることで、

宇宙である光の源に繋がり、自分自身を通して大いなる叡智が流れ込んでくる。

自分自身という掛け替えのない魂・精神・肉体を通して、盛大にこの人生を楽しむのだ。

 

 

 

 

 

 

私は特別で、私は神に愛されている。

私は、光であり愛である。

そして私は、真実である。

 

魂に刻まれたこの軸を拡張させて行くのだ。

 

 

 

 

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