4/9 の学習

数学:青チャートⅡB    2:32
数学:青チャートⅢ    2:33
英語:NextStage    2:22
英語:DUO    0:26
理科:物理エッセンス電磁気    2:29
理科:セミナー化学    3:01
ほか:勉強法講義    0:30
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13:53


[0]

時間割マラソン .. 8:00 - 0:00完走

出だしに遅れたため、途中で余り休憩を取らずに進めた。
途中でリカバリできたのは良かった。

たまに意識がぼーっとする時もあったが、概ね予定通りに進められた。


[1]

昨晩は寝る前に進撃の巨人の最新刊を読んでいたら、3時近くになってしまった。
そのまま、スライドして起きる時間も遅い時間に…。
ただ、進撃の巨人の最新刊は毎日発行される訳ではないので、明日以降は同じ轍を踏むことはあるまいと…。


[2]

以前の復習に失敗したのは、復習の粒度が細かすぎて目標を達成できなかったためだった。
目標は、学習した内容を完全に定着させるという内容だったが、その段階では基本部分が定着していなかったため、細かい所も含めてそれをやろうとしたのは無謀だった。


[3]

努力という言葉は便利で、単純作業の報酬としても、学力が上がらない状態で継続する根拠としても、効率が悪いことの言い訳としても役割を果たす。
ただ、出来れば、努力のリソースがあるならば、それを、努力=合格可能性を上げる、という一点に絞りたい。
要するに、これ以外の表現に、努力、という言葉を使わないような状態にしたい。
努力という言葉を使う時、その力が働きかける方向の先に必ず、受験の合格点が到達点となっているべきである。
努力という言葉は汎用性が高いので、指向性を持たさずに使うと、却って意識や行動の散乱状態を招く。
そういう意味で、用途を絞ったらいいかも…、などとふと思った。
まあ、変な定義や条件を加えることで、却ってややこしくなることも多いのだが…。


[4]

ノルマには罠がある。
ノルマの前提として、毎週〇〇をこなせば月でこれくらい、年でこれくらいの学力が身に付いて、合格しますよ、という事があり、大学に合格⇒このノルマをこなす!、という図式が成立するのだが、実際はその法則は成り立たない。

ノルマ絶対主義に陥ると、上記の図式を完全に信頼している状態になってしまうのだが、そうなると、ノルマから外れた中でやるべき大事なことがおざなりになってしまう気がする。というか、おざなりにしてきた。
ノルマは最低限やるべきことであって、それだけで週の学習を終えてしまうと、最低限の学習しか出来ていないことになる。
まあ、ノルマの設定次第だと思うが、、個人的なノルマとしては最低限の設定しかしていない。

ノルマはあくまで今週やるべきこと、というだけであり、それ以上でもそれ以下でもない。
それが何かを担保する訳でもないし、仕事と違ってそれをやったからといって収入が確実に得られる訳でもない。学力が確実に身に付く保証はない。


[5]

講師から質問の回答が返ってきた。
今日は見られなかったが、明日しっかり見ることにしよう。


入学共通テストまで、あと282日
二次試験まで、あと322日