8/27 の作業
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仕事を定時で終わらせて、こちらが指定したファミレスに出掛けた。
昨日LINEで約束を取り付けた、自己啓発セミナーの勧誘を目的として行動する、高校で世話になった先輩と会うためだ。
早く着き過ぎたので、書店で適当に雑誌コーナーを回遊する。
とにかく人がいない。
今はオンラインで幾らでも本が買えるので、書店に行く意義はほとんどないのかも知れない。
直接手に取って見られるというのもあるが、レビューを参考にした方が本の内容を把握しやすいというのもある。
書店の広大なスペースの中にまばらにしか人がいない光景は非常に物悲しい。
昔、この時間にこの書店に来た時は、客が結構いて、活気もあった気がするが…。
そもそも、書籍自体の需要が落ちているような気もする。自分も電子書籍で買うことがほとんどだ。
どうしても本の形式しかない時はそれを買うが、電子書籍の方がかさばらないし、後から読もうと思った時に探す必要がない。
学習教材は全て書籍の形にしているが。。
時間になったので、ファミレスに移動する。
すでに席について待っていた。
挨拶もそこそこに、とりあえずLINEの内容を軸にして話を進める。
正直、必要な情報は全て揃っていて、新しい情報が出て来ることはないはずなので、どんな方向から勧誘されたとしても、全て打ち返せる。
ただ、一応目標としているのは、力技で打ち返すのではなく、これは受講しないのが当然、という状態に辿り着けるようにしたい。
この状態で勧誘すること自体が不自然という状態にできれば、この場での会話は絶えて終わる。
以前、保険の勧誘を受けた時は、相手の説明を全て頷きながら熱心に聞き、質問したり、相手の主張を反復したりしながら、その場での一定の信頼関係(おそらくこいつは契約するだろうと相手が確信する程度まで)を築いたうえで、最後の最後で相手が渡そうとした申込書を「いりません」と言って断った。
このパターンだと、相手も完全に不意打ち状態になり、表情がこわばって契約書を差し出した姿勢のままフリーズしていた。
その時に試したかったのは、断る箇所は一か所で良い、ということだ。
要するに、いくら言質を取ったつもりでいようが、信頼関係を築いたつもりでいようが、自分が意思を示すべき一か所で毅然と対応すれば、そこで話は終わる。
しかし、それをやると信頼関係も一刀両断されるので、二回会っただけの保険のセールスはともかく、今日の相手は後味を残さない形で終えるようにしたい。
なので、ひたすら相手の話を聞きながら、自分の考えも話して、少しずつ勧誘に乗りつつ、こちらからの誘導もしていった。
最終的には、自分にとってはそのセミナーを受けることは全くプラスにならず、相手が受けることは素晴らしいと思うので、今後の活躍を見守りたい、という形で終わった。
まあ、それでも最後までなりふり構わずしつこかったが…。とりあえず、波乱なく終えた。
しまいには、相手がセミナーの第三段階を受講していて、勧誘フェーズに入っており、毎週ミーティングがあって、次のゲストセミナーに4人連れていくと自分で宣言した、という話も聞いた。
自分で宣言させるというところが味噌で、結局セミナーの主催会社のために勧誘させられているだけなのだが、いつの間にか自分の目標にすり替わってしまっている。
周囲のメンバーと競争させるという仕組みも、勝負や上下関係という要素が入るために視野狭窄に陥り、メンバー内でのポジションを確保するために、自分の目標として勧誘活動に励むのだろう。
勧誘の資源となるのはメンバーの人間関係だ。誰もが、自分のレベルに応じた人間関係はそれなりにあるので、その中で勧誘活動を行うことができる。
そういう曲りなりにも目標を持った状態で、友人・知人を勧誘相手とした、主・従の状態で、あくまで自分は素晴らしいセミナーを相手に伝えて、相手を救ってあげるんだ、というポジションで向かってくる。実にうざい。。
通常、長く続く人間関係の場合、それほど上下関係や一方的な関係というものは少ない。最初はそういうきっかけがあっても、あくまで気が合ったり、感性が似ていたりして居心地が良いから続くものだと思うが、、勧誘の目的と相手を感化するという手段を得ることで、その関係が明確な上下関係に変わるのだろう。愚かな相手を賢く経験を得た自分が導くというような…。
セミナーの主催会社は大した宣伝費も使わず、無料で働くセールスパーソンを雇えて、会場の設営や運営なども彼らがやるらしい。時には自費で他県まで出向いて。。
おそらく全ては「学び」のために、彼らは喜んで働くのだろう。いや、別にいいんですけどね。個人の自由だし。こっちにまでやらそうとしてくるな、というだけで。。
とりあえず、聞いて少し心に残ったのは、通常 Have, Do, Be として考えるけれどそれは誤りで、Be, Do, Have と考えるべきという話だった。
どうやらセミナーに参加すると、これが腹落ちするようなワークショップがあるらしい。
しかし、どうも細かい点までは理解していないようで、色々突っ込んで聞いてみたが、疑問は晴れない。抽象的な内容だけで終わった。
その後、検索すると、そこそこ一般的なフレームワークのようで、幾つかのサイトがヒットして、例を合わせて解説しているページもあった。
例えば、これとか。
思考を変えれば運命が変わる「Be-Do-Have」の法則 | FREE LIFE 楽しく自由に幸せに!!
https://freelife.design/bedohave/
見出しだけで自己啓発ワードのてんこもりだが、説明が分かりやすかったので感謝している。
しかし、まあこの説明を読んだだけで分かるのだが、おそらくこれを取り込んだために洗脳状態になったのだと確信した。
一見、確かに良いことを言っているように見えるが、詐欺師は大抵良いことを言っている。その後に騙すから詐欺師なのだが。
つまり、
Have -> Do -> Be とは、「手に入れる」⇒「手に入れたものを活用する」⇒「幸せになる」という流れのことを指し、この考え方では正しい Be になれない、と主張している。
対して、
Be -> Do -> Have として、「幸せな状態をイメージする」⇒「そのために何をするべきかを考える」⇒「それをするために必要なものを考える」とすべきだと主張している。
世の中の人は大抵前者の流れで考える。
それは成長過程で、最初からゴールの姿を思い描きながら成長する機会は殆どなく、目先のやるべきことをこなすことを繰り返すという流れで成長しているからだ。
教育課程で、小学校、中学校、高校、大学、とそれぞれに達成すべき基準があり、それをこなすことで何かが得られて、それによって何ができるようになって、幸せになる可能性が上がる、という考え方をするからだ。
イチローとか本田とか小学校の卒業文集で、〇〇になります、という大きな将来のイメージがあって、それを逆算して努力することが出来る人は、Be, Do, Have だろう。
しかし、それは彼らにとってそれが自然な思考だったからそうしただけで、誰かやセミナーやらに誘導されてそのように考えた訳ではない。
Be -> Do -> Have の効用を説いて、その考えをするように誘導する時、その受け手の思考はどのような状態になるか?
おそらくだが、Be をとにかく強調して、思考のほとんどをそのイメージの成立に傾けるのだと思う。
指導役がいれば、何度も質問したり、ダメ出ししたりしながら、そのイメージが強固になるように誘導する。
まあ、会場の空気もあるのだろうが、最終的には、本人が納得して、心からそれを目指したいと思っている、と確信しているような状態にまで仕上げるだろう。
そこで、次の Do, Have を考えるフェーズになる。
Be -> Do -> Have の考え方で注意すべきなのは、Be が余りに強固だと、それを達成するための手段はどのようなものでもよいという考えになりやすい点だ。
そして、それが正にこのフレームワークの利点であるから、却ってややこしくなっている。
Have -> Do -> Be の場合は、手段重視、手段で得られるもの重視で、Be の部分はやや希薄化されている。
例えば、良い大学に行く、良い会社に入るというのは手段なのだが、それ自体が周囲から羨望を受けたりして気持ちの良い状態になれるため、目的化しやすい。
良い大学に行けば就職の選択肢が広がり、良い会社に入れば高給や良質な福利厚生が受けられる。Have -> Do が強固な関係になっている。
その先の Be は様々だが、結局はすぐにその状態に慣れて、さらに上を目指したり、もっと名誉やお金が欲しいとして競争に勤しんで、却って負荷が上がって、幸福度は低下することもあるかも知れない。
Be -> Do -> Have の場合は、最初から欲しい状態が明確になっているから、Do -> Have を最小限で構築できる。また、手段を選ばず最適なものを構築できる。構築できると思ってしまう。
その状態で、この素晴らしいフレームワークの学びを最大限に腹落ちさせ、かつ実践する力を手に入れるために必要な手段を与えられたらどうか。
それが「勧誘」なのだと思う。
受ける側としてははた迷惑なアレだが、おそらく勧誘を手段とさせるに当たり、こういう理屈が付けられる。
(ちなみに勧誘期間は3カ月らしい。期間を区切るというのもゲーム性を高めたり、集中性を高めたりする効果があり、また永久性ならただの奴隷であるところを、期間があるためにトレーニング期間というような錯覚を与えやすい。)
・これまで学んだことはセミナーが終わって日常生活に戻ると徐々に忘れてしまう。それを3カ月間実践することで一生忘れない財産になる。
・自分が学んだ内容をそのままにしておいても学びはない。それを人に伝えようとすることで、自分はより深く理解することができ、具体的に人に伝えられる知識になる。
・自分と同じような悩みを持っていた人が助かるきっかけを与えることができる。それを伝えられるのはセミナーを実践して変わった皆さんだけ。少しでも世の中を良くするために、まずは皆さんの親しい人に伝えよう。
・チーム一体となって、セミナーに当事者として関わり、運営・設営などの責任ある立場を務めることによって、セミナーに来てくれる友人・知人をもてなそう。
こんなところだろうか。頭が真っ白でかつ興奮状態に陥った時なら、すんなり受け入れてしまうような気がしないだろうか。
ただ、結局これも頭だけで考えたことなので、参加していない自分にとっては永久に真相は闇の中だ。そして、それでいい。
口コミを読むと、第三段階の勧誘で、友人・知人を無理に勧誘しようとして、人間関係が壊れたという話も聞くが、今日はそういう状態にはしなかった。
まあ、今日の人に関わらず、人間関係が豊かという訳でもないので、気の合う友人は大切にしたい。
自己啓発だろうが、病気だろうが、その人の中で収まる範囲での活動なら、こちらは一向に構わないのである…。人それぞれ。
センター試験まで、あと147日。
二次試験まで、あと185日。