50分過ぎかなー。
あれ、この話したっけ?
ismさん、以前とあるスポーツチームの代表をしていた経験があるの。流れでそのチームのキャプテンをしていたんだけどね。
このお二人の対談50分辺りで話題に出ていた「再生の道面接官」についての話の中で
16歳〜24歳、「50人以上の代表経験者」というところで
「代表は結局【選ばれた者】」と云うような会話があったのね。


ismさんてさ、あんまり頭は良くない方なんだけど
感覚だけは俊敏でまともなところがあるの。
それを言葉や文字に出来なくて誤解を生む(真逆に捉えられることも多々あって、訂正が面倒で受け流して結局真逆の意見と捉えられて終了ということが多々あり)から気付いたら真逆の思考で何が違うか分からないまま納得してしまっていることが多々あるのだけど
こう云う方々(自分の思想に近い方々)の明確な言葉によって自分を取り戻すことがよくあるのよ。

で、思い出したのがそのチーム代表兼キャプテンの話。



自分はその「立場」を受け入れられなかった。
当時理由は説明できないから受け入れざるを得なかったんだけど
なぜだか心が拒絶していたんだ。
それを20年以上経過してやっと理解できたから嬉しくて書き込むことにした。

チームの代表
という肩書は仕方がないと理解はしていた。
「チーム代表」というのはいわば表札が大きすぎて自分にはにつかない、そんな風に思っていた。そんな大層なことはしていないと。

だけどやりたいスポーツがあって、自分で始めてメンバーを集めて基礎的な運用も全て自分で決めて始めたことだから、それに対して当てはめる言葉が「チームの代表」というのはなんとか理解はできた。だけど
チームのキャプテンは違うと思った。

例えば会社経営の話で言うと
創設者がいて
だけど創設者はあくまでもその会社を始めた人であって
実際にその会社の運営責任を任せるのは社長もしくは店長であって
創設者は株主でもあるなら社長や店長は株主の顔色を見ながら進める必要があって
運営には関係ない感情論で会社を進めざるを得ないことが出てきてしまう。
それって従業員にとって(更にはその先に存在するお客様にとって)良いことではないでしょう。

自分はそんな人にはなりたくはなかった。
「こう云う理由でこれを始めた」
という「目的」を伝えつつ、誰かに任せて(その目的には賛同するけど運営となれば従業員のことも考えて別の思考も必要になるなど)その人の舟の上で闘える一従業員でもありたかった。

石丸さんの言葉を借りるとしたら
「装置を利用して自分の自由に生きたかった」
だろう。
「それを世論が乗るか否か」
だけで。

だから20年の時を経て気づけたのは

チーム代表はやるけど、チームキャプテンは選手から選ばれた人がやって欲しかった
という事で
それを言葉に出来たら良かったなとつくづくそう思うわけ。
ゆくゆくはあのチームも別の選手にキャプテンの座を譲った訳だけど
本当は初めからそうしたかった。
中には「なぜ創設者のismさんがキャプテンではだめなのか」と思う人もいたかもしれないが
「選挙で選ばれてもいない人間がチームキャプテンをするのは間違えている」
と今なら言葉にできる。
「チーム代表が自動的にキャプテン」は間違えていると今なら言葉にできる。
そう考えると自分の20代はまだまだ稚拙で考えを言語化出来ない人間だったのだなと最近はそう思うことが増えてきた。

今、仕事先では20代の若い人たちが言語化出来ない苦悩を理由に40代我々世代から言われなき苦行を強いられているという目も当てられない日常を見せられている。

あの時の自分は何を求め
何に助けを求め
自分の意見を伝えたかったのか。


昔を思い出すとともに
おとなになった自分が
若者に対して
何をするのかを
改めて気付かされた
そんな気がした
動画だった。



無駄を省き
何のために
おこなうのか。
それを考えたら非常に
わくわくする。




ism