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地下水道

やくたいもないことばかり書きます。
こんなつまらない奴もいるんだと、思っていただけたら本望です。

ずっと書きたくて書けなかった大切な人、ニック・ドレイクについて書かせてください。

「じゃあ、またね。」そう言葉を交わして別れたきり、二度と会うことが叶わなくなった友のような…

そんな痛みと、懐かしさと、幸福な記憶の中に生き続けるアーティストです。


*ここから少し長くなりますので、お時間の無い方はどれか1曲、聴いてくださるだけで充分です。

1曲目と2曲目はファーストアルバム、3曲目と4曲目はラストアルバムの収録曲。

そしておまけに、没後発表されたカバー曲のリンクを2つ貼っています。


①Day Is Done ②River Man ③Pink Moon ④Things Behind The Sun

リンク①Summertime(ジャニスも歌ったジャズの名曲。男性が歌っているのは珍しいと思います。)

リンク②Mirk&Honey(アメリカのフォークシンガー、ジャクソン・C・フランクの名曲。

原曲は悲しげながらも穏やか。ニックのカバーは切迫感に満ちています。)


お気づきの方も多いと思いますが、小塚選手が以前EXで使用した「'Cello Song」を歌っていたのが、ニック・ドレイクです。

「あの曲が好きだった」という方は、お読みになってくださると嬉しいです。



1948年、英国領ビルマ(現在のミャンマー)生まれのイギリス人シンガーソングライター。

26歳で亡くなった彼が生前発表したアルバムは僅か3枚。総売り上げ枚数もたったの2万枚に過ぎませんでした。

存命中に評価を得られず、抗鬱薬の過剰摂取により亡くなった彼が伝説のシンガーとして知られるようになったのは、

ドリーム・アカデミーやポール・ウェラーと言った人気ミュージシャン達が、

彼の信望者を名乗り出た80年代に入ってからのことでした。


イギリスの裕福な家庭の末っ子として生まれ、ケンブリッジ大学で英文学を専攻していたニック・ドレイク。

成績優秀でスポーツ万能、長身の美青年だった彼は家族からも友人からも愛されました。

学生時代の彼は、いつも申し訳なさそうな笑みを浮かべている物静かな青年でしたが、

どこか超然とした佇まいと、他を圧倒するような不思議な存在感があり、教師からも一目置かれる存在だったそうです。


幼い頃から本と音楽が好きだったニック。

ケンブリッジ入学前に在籍したパブリックスクールマールバラ校の教師は、彼のことをこう記しています。

「卓越した陸上選手だったが、その実力からすれば充分可能だったにもかかわらず、

新記録を打ち立てることにはまったく興味がないようだった。(中略)

練習すべき時に限って本を読んでいるような、そんな少年だった。」


そして、陸上競技と共に次第に高まっていった音楽への情熱と反比例するように、彼の成績は下降していきました。

しかしそんなニックに対しても教師たちは彼の才能を認め、ケンブリッジへの推薦書に愛情深い初見を書き送っています。

「その控えめな性格から胸の内をなかなか悟らせないところはあったが、彼ほど周囲から好かれた生徒はいない…

結論として、彼は典型的な大器晩成型であり、学問的な才能を開花させる途上にあるのだと判断したい。

我々は長いあいだ彼に失望させられてきたが、大学において英文学を専攻する機会が与えられるなら、

純粋な学問の場を越えた分野で偉大なる成功をおさめるであろうと、いまは確信している。

彼は周囲から多くを得るばかりでなく、多くを与えることができる。

つまり彼は、学問を授けるに値する人物であると判断する。」

教師たちも家族も、彼がケンブリッジ卒業の後は、文学者として身を立てるものと信じていたのです。


そうして晴れてケンブリッジに入学したニックは、まるで坂を滑り落ちるように音楽に没頭し、

朝から晩までギターを弾き作曲に明け暮れました。

彼独自の変則チューニングはこの頃生み出され、彼の紡ぎだす摩訶不思議な音色はケンブリッジの仲間を魅了しました。

その実力はありきたりのものではなく「彼に弾けない曲はない」と噂されるほどのものでした。

やがてロックバンド フェアポートコンヴェンションのメンバーに見い出され、アイランドからデビューを果たします。

1969年、ニック・ドレイク21歳の時でした。


ファーストアルバム「FIVE LEAVES LEFT」 を発表後、ニックは僅か9ヶ月の在籍期間を待たずにケンブリッジを中退。

ミュージシャンとして生きていくことを決意します。

フェアポートコンヴェンションのマネージャー、ジョー・ボイドをプロデューサーに迎え、

ニックの巧みなギタープレイに質の良いストリングスを施した「FIVE LEAVES LEFT」は、

評論家には高い評価を受けたものの商業的には惨敗。若者たちの支持を受けることはありませんでした。

翌年1970年にセカンドアルバム 「BRYTER LAYTER」を発表、

前作で彼の才能に惚れ込んだジョン・ケイル(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)を迎えるもやはり売り上げは伸びず、

ニックは徐々に精神に変調をきたし、人との関わりを断つようになります。

そして1972年、自身のギターと唄だけを録音した音源を関係者に渡し、音楽業界から姿を消します。

彼の固い意思で、いっさいのアレンジを施さず発売されたそのアルバム 「PINK MOON」が、彼の遺作となりました。


ニックの音楽が生前評価されなかったのは、ある意味無理もないことでした。

当時の音楽業界はロックの全盛期。

また、ビデオの普及していなかった当時は、ライブ活動で評価を高めていくのが一般的でした。

人前での演奏を嫌いライブ活動を行わず、インタビューやテレビ出演も拒んだ彼の音楽が

人々の耳に届く機会はあまりに稀だったのです。


孤独で静謐で閉じられたニックの世界。

幼い頃の幸せな思い出、会えなくなった人々、果たせなかった約束…

彼の音楽は郷愁と悔恨と寂寥感に満ちています。

聴衆との一体感やコール&レスポンスなど望むべくもない、人知れず闇の中に横たわる心奥の森。

けれどそれは、同じように闇を彷徨う人々が、救いを求めて訪れる安らぎの森なのです。


人は誰も、心に闇を抱えて生きている。

光を希求する気持ちが大きければ大きいほど、時に人は自らの闇に陥ってしまう。

アーティストとは、闇に佇む夜警のようなもの。

闇の中に留まりランタンの明かりを灯し、闇に彷徨う人々の道程を照らし続ける。


彼は誰よりも深く闇に降りた。そしていつしか、闇の中に呑み込まれていったのだ。

儚く憂いを帯びた声だけをその場に残して…

だから私たちは、今日も彼の声を頼りに闇の中を歩んでいく。

AND NOW WE RISE AND WE ARE EVERYWHERE いま、僕たちは立ち上がり、あらゆる場所に存在している。

(PINK MOON 最後の収録曲 “From The Morning”より)


*ニックのエピソードについては、ストレンジ・デイズ社刊「悲しみのバイオグラフィ」より一部引用しています。

動画主さまに感謝して、お借りします。
「Day Is Done」
http://youtu.be/Cyv4qB5Aft4


「River Man」
http://youtu.be/R6zCmCIsoAE


「Pink Moon」
http://youtu.be/qgVEvjsJn6g


「Things Behind The Sun」
http://youtu.be/T-uBfYkfA9o



「Summertime」
http://youtu.be/uUzAFfoJ3mU

「Mirk&Honey」
http://youtu.be/cm9wYWuQDA4


ここまでお読みくださった方、ニックの声に耳をかたむけてくださった方、

本当にありがとうございました。