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地下水道

やくたいもないことばかり書きます。
こんなつまらない奴もいるんだと、思っていただけたら本望です。

昨年の夏、福井県で開催されたFAOI。その日初めてジョニーの演技に生で触れることができた。

ずっと特別な存在だったジョニー。けれど彼の何が特別なのか、自分にもよく解らなかった。

同じ時、同じ空間でジョニーの演技に接すれば、その答えが見つかるかもしれない。

そんな期待と名付けようのない不安で、前の日はよく眠れなかった。


そのショーにはプロ・アマともに世界のトップスケーターが名を連ねていて、

その中においてのジョニーは実力や経歴が突出した選手ではなかったと思う。

ガチくん、かなちゃん、羽生くん、町田くん、ジュベール、ロロ、アニシナ・ベーゼラ…

次々と現れる華やかで魅力的なスケーターたち。この人達と並べる何かが、今のジョニーにあるのだろうか。

そんな思いで見つめるリンクに彼が静かに滑り出た。佇む彼の姿を観たとき、もうその答えがわかっていた。

ジョニーの存在感、その大きさと厚みにただ圧倒されていた。


それはいわゆる「オーラがある」とか「立ち姿が美しい」といったこととは違った。

ジョニー・ウィアーという個人の自我、その純度の高さに圧倒されたのだ。

氷上に佇む姿そのものが、スケーティングの技術を超えて伝えてくるジョニーの自我。その魂の厚みだ。

私の脳裏に、あのバンクーバーの闘いがよみがえった。


ジョニー・ウィアーはいつも、アンビバレンツの個性を持ち続けてきた。

「アスリートとアーティスト」「アメリカとロシア」「男性性と女性性」

「クラシックとポップカルチャー」「叙情性と攻撃性」「レッドカーペットのセレブと凍える餓えたアーティスト」


一方を切り捨て収まりのよいスケーターになることができれば、より上を目指せたかもしれない。

でも彼はそれを拒み、100%のジョニー・ウィアーとして滑ることを主張し続けた。

両極の自我に引き裂かれ、苦しみながらも手放さず、抱え込んできたアンビバレンツ。

アーティストであるためにアスリートの実力を証明しなければならず、ロシアンスタイルを貫くために全米王者に拘った。

そんな矛盾と終わりの見えない虚しさに苛立ち、起死回生、いちかばちかの勝負に賭けて出たのが

あのバンクーバーオリンピックだったのだと思う。


長年のライバル、ジェフリー・バトルとタッグを組んできたデヴィッド・ウィルソンに振付を依頼し、

古典的なロシアンスタイルを脱ぎ捨てた。

ショートでは挑発的で享楽主義のキャラクターを、フリーでは天界から追放された悲哀の天使を演じる。

デヴィッド・ウィルソンは巧みだ。

挑発的なキャラクターにもロマンティックな香りを、フォーリン・エンジェルにもクラシックなバレエスタイルを混ぜ合わせる。

相反する二つの世界を重ね合わせれば、100%のジョニー・ウィアー。

僕にしかできない、僕だけの“魂のスケート”で勝ってみせる。バンクーバーのジョニーはそう叫んでいた。

あの日の彼が、勝つことができたのか負けてしまったのか、今も私には解らないけれど…


でも私はバンクーバーのジョニーが好きだった。誰にも負けないくらい素敵だと思ったよ。

あの日泣いてしまって言えなかったありがとうを、今度こそあなたに伝えたい。

願わくば、それがソチオリンピックの日であることを祈っている。

戻ってきてくれてありがとう、ジョニー。ちゃんと練習するんだよ(笑)


動画主さまに感謝してお借りします。

Johnny Weir 2010 Olympics SP "I Love You,I Hate You."
http://youtu.be/F-E2OGopDJg


動画主さまに感謝してお借りします。

Johnny Weir 2010 Olympics FS "Fallen Angel"解説なし

http://youtu.be/Er2-MH2KnH8


英語解説を聞きたい方はこちらもどうぞ。
http://youtu.be/9X8jswTp0ZI

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。