わしかてでけへんことあるがな


「え?先生でも判らんことありますの?」

「当り前やがな。そのために専門医がおるのやがな。目の場合、わたしが日本一や思うとる先

生、神戸の前海星病院のO先生。この先生は名医や。この先生に診て頂いて的確な指示通りに

⋯⋯、その上であらためて食事のカルテ、厳守や」

「先生にも治せない病気ありますの?」

「ありますがな。まず先天性の病気。これはあきません。基本から欠落したり、破損しているものは治せません。生まれつきの病気やね。残念やけどわたしの領域では無理や」

「それ以外は大丈夫?」

「まあ、後天的いうか、後天的いうたら食べ物が原因やから、それの病気で血液が悪うなっとるのならば治せますな」

「難病とかいうの、いくつ位ありますの?」

「そうやね。30から32〜3やね」


「難病というのは何ですか?」

「原因がよう判らん病気。後天的やいうことは判ってもどうしてそうなるか判らへんもんが難病や。

判らへんから治し方が判らない、でけへん、それが難病。そやからクスリも注射も判らん」

「癌の抗癌剤やコバルト照射とかいうのんは違いますの?」

「動物実験で成功したかて人間と動物は違いますのや。マウスでよくても人間にやったらどないなるか判らん。ほとんどが見切発車や。それでようけ事故が起きる。動物と人間では体の出来がえろう違う。動物で100%成功でも人間にはあかん。

人間にいいか、わるいかの実験やったらゴリラ、チンパンジー、オランウータンしかおらへ

ん。一頭、何千万円もかかりますがな。そんな実験ようやらん。できませんがな。この辺でよし

としようやないかで、クスリが使われる、注射がおこなわれる⋯⋯これが恐ろしぃ結果になる」

「抗癌剤の事故やなんぞでようけ死にましたな」

「完全に治るクスリや注射というのはあらへん。抗癌剤使うとこわいけれど、治ると思うとる

人がぎょうさんおるわな。抗癌剤は使えば使うほど体の闘う力を弱めるんや。自分の力で病気

を治す力が減っていきよるわけや

「それで先生、抗癌剤使ってはるかどうか聞きよるわけね」

「そうや。子宮癌や膀脱癌は密室的やから2〜3回なら外へはもれへん。他は駄目や。どんどん他の器官をこわしよる。あくまでわたしの方法は自分の力で治す。食事違反したらあかんということや。

エェと、誰やったかいな。何の話からこうなったんだっけ?」

「糖尿病の山下さんの目の出血ですがな。先生もそろそろボケが近いと違いますか。気ィつけなあかんですよ」

塩足らんとボケるんや

「わたしはボケやせんよ。ようけ塩とっとるで大丈夫や」

「ボケと塩、カンケイありますの?」

「大ありです。厚生省は塩を取るな、取るな言うとりますやろ。その結果、大量のボケ老人が

発生してしもうたわけや。塩の働きが脳の活性化に大切なんよ。塩が足らんようになると脳の働きのあちこちが故障してきよる。

今まで塩を取るないうてきたわけやから今さら塩取れ言えません。"困っております"いうのがホントウのとこやね。

塩はいのちの泉なんよ。それをここ30年、"取ったらあかん、減らせ、減らせ"で広く行き渡った結果が大量のボケ老人発生というッケになってでてきたわけや。そりゃボケまっせ、老化するんやから。でもわたしがボケるにはまだ30年は先ですわ。

みなさん、塩をせっせと取らなあきまへんでえ」

「やあ、今日はええこと教えてもらった、賢くなったわ、ホナ、これで、みなさん、お先にサイナラー」

「津島さん、あんた三五回目の注射や。忘れたらあきまへん、はい、ズボンぬいで。あんたこ

そボケが始まっとるで⋯⋯」

「⋯⋯やっぱ注射しないとあきまへんか。先生の痛いのかなわんで⋯⋯」

「痛いから効くんや」

「A先生、今日おらんの?

あの先生やったら痛うないのに⋯⋯」

「おりません」

「東京の先生は?」

「あの先生は土曜日ですがな」

「H先生土曜日に来はる?じゃあそん時に⋯⋯」

「あきません。ハイ、出して、出して⋯⋯」

「先生、吸血鬼とちゃいますか。うれしそうや」


イターイで死にやせん

「先生のイタイ、イターイ注射」は有名です。他の先生の場合は同じ痛くても語り草になる

イターイではありません。

「これは技術がいりますのや。なんせ薄い皮下に注射するわけや。ちょっとズレよると皮膚以

外に液がもれてしまうのや。それをせないようにやるので痛いんや」

では他の先生のは液がもれているのか?というとそうでもないらしい。特有のものか?


「二〇歳で学生です」

「あっこりゃひどいわ。学校へは行けまへんやろ」

「ハイ、ずっとひと月以上休んでます。春になるとここ2年ほどひどいんです。病院でおクスリ頂いて、ええ、飲むのと、塗るのと両方ですが⋯⋯」

「いつ頃から?」

「小学校三年の頃からずっと、だんだんひどくなって、気持ちも暗くなって、今はもう学校や

勉強どころではなくて、死んでしまった方がどんなに楽かと思ってます」

「そうやね。これだけひどかったらそう思うが当り前や。エーと、Kちゃん、Kちゃん」

「何ですか先生? いま手が放せません。後にしてくれますか」

「ほれ、アトピーの竹田さんやったかいなあの人のカルテ⋯⋯」

「竹田さんやったら二階におります。点滴おわってたら呼んできます」

「来ておるんかいな。そりゃ都合がええ。竹田さんいう人、アトピーや。あんたと同じ位ひどかった人や。竹田さんの見たらよろし。治りますがな」

「わたしのは顔面、頭、首、腕、手で、体はさほどでもありません。顔の皮膚、頭の皮膚毎日

ウロコのように白く浮きでてきてかゆいのです。そしてハゲてきます。夜なんか異常なかゆさ

で肌にツメ立ててボリボリかいてしまいます。かいた後はジュッと体液が出て、鏡で見る自分

の姿、これを人前にさらすのかと思うと死にたくなります」

「なるでしょうな。治らない、治っても完全に治らなければね。でも治るんですよ、見事に治りますよ」

「竹田さん、来ました」

「あ、竹田さん、あんたと同じアトピーの人や、この竹田さんいう人もそりゃひどかった」

「今日はー、竹田博子いいます。わたしと同じというより、わたしがここに来た時より先生、

軽いんと違いますか?」

「そうやったかね。同じ位かと思うたけど⋯⋯」

「わたし、まぶたがふさがっていてもう目あきませんでしたし、オデキボロボロでしたよ。ずっとこの方、軽いんと違いますか?」

「軽くはないけど、今治るいうたとこですわ。死にたい言いますねん」

「この程度で死にはったらエンマさまかてホトケさまかて困る思いますね。見て下さい。わたし、あなた以上で二日に一ぺんか三日続けてきたことあります。大阪市内で助かりました。毎日来てもええと先生に言われたんで毎日来ました。も20回以上です。始めてふた月位ですが、治るなら、治そうと思うてせっせ来ました。先生は神さまと思ってます」

「わたしが治したんやないで。あんたが治りたい一心で食養生の違反もせず、せっせと通って

来たから治ったんや。もう九割方治ってますよ。

すべて食養生。あなたは開始前、竹田さんは開始後というわけや。死ぬなんて考える前に来

てほんまよかった」

「先生、わたしのアトピー治るんですね」

「治ります。治すのはあなたが90%、わたしが10%です。難しい癌でも膠原病でも同じで

す。本人の"治すというひた向きな生き方"が決めます。10%はわたしという医者でないと出来ない部分です。あなたはわたしが取って代わることはできません。わかりますね。安心してやりなさい。まずは、体の中に入っているものをすべて排出するところから始めます。

きょう家に帰ったらヒマシ油、おそらく家にもないでしょうから、これをあげます。

あとは近い薬局で取り寄せておきなさい。家は神戸ですね。あさって来られますか? 来られる、それじゃきょう飲んで下さい。

飲んだ後は⋯⋯(以下ヒマシ油使用後の結果は先に述記)」

「それではわたしはこれで⋯⋯お大事に、先生、失礼させて⋯⋯」

「あっ、竹田さん、注射でーす」

「え? きょうもやるんですか?」

「、ハイ、あなたは毎回ですから⋯⋯。注射ですよ。逃げてはいけません」

「やっぱり注射ですか?」

「ハイ、失礼しますよ。痛いのがいいのや」

「先生、人の痛がるの見て快感覚えるのとちゃいますか?」

「耳が遠うなったみたいで、よう聞こえへん、何言うた?」

「老人ボケやね」

「それはありません。ハイ、スカートの下です」


ヒトと人間とどう違う?

ここでは患者同士のプライバシーがありません。男とか女とかいう異性に対しての区別もあ

りません。

初めて来た人は面喰らいます。

病院通いというものは近しい人たちには知られたくありません。入院したりした時、とくにかくします。

「しばらく留守してまして⋯⋯」といった場合、

「ああ、入院していたんだな。ひと月位だからよほど悪かったのじゃないか?」と想像します。

病院の通院回数が多い場合もそうです。

また病院内ではなるべく知った人には逢いたくないものです。

でも、ここではすべてがオープンです。

「ハア、あと三週間の命と言われました。まだ、見透し暗いんですけど二カ月過ぎても生きてますからね⋯⋯」 とかやってます。

どの患者にも共通しているのは、

「わたしの病気は治るのだ」

ということです。

治るのだから他人にかくしたり、将来のことを思い悩んだりする必要がないのです。


「先生、いま聞いてもよろしいか?」

「何んやねん。あなたの癌のことかね」

「ちがいます。

前から一度聞いてみようと思ってたんですが、今、ちょっとお手すきなようなのでよろしいか」

「そうやね、Kちゃん、今、ええかね」

「あと20分ぐらいだったらかまいません。それすぎると点滴おわる方3〜4人降りて来ます」

「⋯というわけや、よろしいです。

何んでしょう?」

「わたしら人間と言ったり、ヒトと言ったりしますが、どう違うのですか。まったく同じなのでしょうか?」

「ああ、そのこと、ヒトゆうたらカタカナでヒトと書きますがな。ヒトはヒト科の動物や。ゴリラ・チンパンジー・オランウータンは類人猿科の動物でヒトと猿の間や。日本ザルはこれはサル科の動物やね。ヒトいう時は動物や。人間いう時は社会生活を作ってその約束や仕組みの中で暮らしていることをいうのですよ。病気になった時、サルや動物一般には医者がおりません。クスリもありません。

すべて自然の中で治さなければあきません。人間にだけ医者がいて、薬品という化学製品を使って治すことがでけるわけですわ」

「食べることや排便するというのは人間がやってるのですか?ヒトがやってるのですかね?」

そりゃヒトとしての動物がやるのですわ。食べものは口からしか入りません。口から入った食べものはよくかみくだかれてから消化され、吸収され、血液に変わる。余ったものは外に出されます。これは人間として社会生活しているわけではおまへん。ヒトとしてやっているんですわ。胃は食べもの飲みものが来なければ働きません。しかし腸は二四時間休みなく働きます。

人間として"やめろ"と命令してもあきまへん。せっせ、せっせと働きます。これがヒトとし

ての仕事ですがな。大むかしから現在まで、これは少しも変わらないのですよ。食べ物の種類

が増え、量も多くなっても、インスリンの分泌量が変わらないということを見ても判りますがな。

文明とか文化とかいうもんと関係おまへん。なんでもできるし、何でも食べることができると思い違いをしてしまってるんです。

わたしが言うように、日本人には日本人に合った食べものを食べておればよろしいのに、世界中から食べものを取り寄せて何んでも食べてしまう。狭い日本なんだから食べものや飲みものは、みんな外国から持ってきて、もっと土地を有効に使えばよいという考えがありますがな。

からだに合った食べものとは

タイの米は激粉質が低い。パサパサしていてまずい。どんなに工夫してもおいしくない。

あげくの果てにお米の袋の中にネズミの死骸が入っていた⋯⋯なんてのは失礼を通りこして、それこそ人間失格です。

タイ米はもともと水分がないのです。パサパサしたお米で、それを何千年も昔からそれを作り、それを食べていたし、今も食べているのです。

日本の米作りは、種類も方法もちがいます。たっぷり水分をとじこめてふっくらたいて、食べるのが何千年もやってきたのです。

同じ米文化でも、違うのです。水も土地も違うのです。それぞれの国でそれぞれに合った食べものを食べてきていたのです。

日本の国の中だって違う。九州、沖縄と東北、北海道は違う。

それがここ50年の間、いや20年ぐらいの間にすっかりすべて変えてしまったですわ。

食文化という時、それは手まひまかけて作ったもの(あるものをそのまま食べるのではなく)を食べる。

豚は食べるけれど牛は食べないとか、鯨は捕っても食べてもいけないとか制約があるのが文化ですがな。お腹の中に入ってしまったら、そりゃ文化じゃありません。動物の世界ですわ。

何んでもかんでも持って来て食べたり、飲んだりすることはできます。

でもね、ヒトとしてこの日本という国に生きて暮して、ヒトの体に合う食べもの、飲みものというのがありますがな。反対に合わないものもある。

それを食文化の充実ということで、日本人の体に合わないものでも食べたり、飲んだりするということはおかしいことですがな。

人は過労では死にません

例えば牛乳と、それから作られたもの。牛乳は日本人のヒトとしての生活に合わないんです。

牛乳がぴったり合っていい生活している国はあります。だからといって日本人には合うとは限らないのです。外国人の人には体にいい、栄養にいいといっても日本人にはマイナスなので、

牛乳は日本人の体に合った飲みものではないんですよ。ヒトとしての日本人をもっと研究せなあきませんな⋯⋯」

「先生、高田さん、大迫さん、降ります⋯⋯」

「ホナ、またな⋯⋯。ハイ、ハイ、どうぞ」


「働き盛りの突然死」というのがあります。

「ェッ、あの方お亡くなりになったの!!だってわたし昨日ストアでお逢いしましたよ。ぜん

ぜん、そんな、死ぬなんて、そんな気配ちっともありませんでしたよ。判んないもんですねえ、

ホント。一寸先は闇ってあるんですねえ⋯⋯」

この突然死。

わがM先生に言わせるとこうなります。

「過労で死ぬ。労災死扱いにするしかないわけや。働き過ぎ、あそび過ぎ。とにかくなにやるんでも

一生懸命やってしまったりすると体が参ってしまうのや。それに十分な水、塩が補給されなんだったら体はドンドンやわになりますがな。仕事が激しくてとか、いろいろあって突然死ぬ。すべて過労か?

人間そないやわいもんじゃない。いくら仕事が激しくストレスがたまるからといっても、死ぬには死ぬだけの体の弱りがあるんよ。

働き盛りは動く、食べる、ねむるが不安定。食と体が合うことが健康なら合わないのは病気で、そのために血管が傷んでしまってる。そこが破裂する。どこも悪うないと思っておるのに⋯⋯」


突然死にますなあ

「血管炎やね」

「ハア?⋯⋯」

「見事な血管炎や。あなたが阿部家では一番重い。一番厳しい食養生せなあきませんな」

「............」

「つまりやね。あなたは血糖値も80位やから

すぐ60位までには下がりますがな。糖尿の心配はありません。肺も心臓も脳も肝臓もみんな元気やから、大丈夫や」

「何がいけないのですか?」

「だから血管があかんようになっとるわけや。血管が病んでるわけ。ボロボロや。お風呂入った後、全身かゆいのとちゃう?」

「ハイ、マッサージした後もかゆくてしょうがありません」

「そうやろ。どこも悪うはないけど、血管が古くなっているわけ。人間だれでも年をとりますがな。素肌の手入れ、頭髪を整え爪先磨いたりしますがな。とくに顔の手入れは女性は熱心ですがな。見えるところはよう手入れしますが見えへんところはやりませんやろ。

血管は血液を体内に流し、心臓に戻す通路や。生まれてからこの方、一度も手入れせえへん。血液が濁って濃くなる。それが何十年も続いておる。それで血管がポロボロでヒビ割れしてきよる。そこから血液がもれる、それでかゆいわけや。

あなたにはこれといって病気は見当りまへん。そやけどいつ血管が破裂して生命とられるかわからへん。つまり、突然死で亡くなるんですわ。そういうことやから阿部家であなたが一番危いわけ。いつ死んでもおかしゅうないというわけですわ」

「……………」

「働き盛りの突然死、これが多いわけや。あの元気な人が⋯⋯という人ようけおりますやろ。

人によっては寝たっきりになったり、薬づけになって病院のベッドで死ぬよりええという人ぎょうさんおります。その方がええですか?」

「いやです。まだ元気で生きたいです。どうすればいいのですか?今まで家ではわたしも阿部と同じような食事をしてきました。2年ほど前先生に診て頂いた時、"たんなる便秘だ。まずそれを治せば大丈夫"と言われ、だいたいの食事は同じです。ただ甘いものやコーヒー、紅茶にはお砂糖を入れて飲んでいました。とくに頂き物の果物や和菓子といったものはついついもったいないから食べてしまったりします」

「それやがな。体重は何キロ?」

「58か59キロです。身長が154センチです」

「下っ腹がでてますな。足もどこも全体がふっくらしすぎとる。

体重が50キロぐらいまで落とすといいです。お砂糖、これ、やめなはれ。とにかく、大切なのは食事ですよ。今までは"自己流でいいだろう、気をつけているのだ"でやってきた。それ

がドンドン血管を弱くしていったのやね。他は悪うないのやから血管の治療を早急にやれば破裂することはない」

「どうすればいいんですか?」

「毎週、つまり週一回の割り合いで来なはれ。それで当分つづけて、血管が強うなったら隔週一回、

そしてそのうち月一回に減っていきますやろ」

「食事は?」

「その間に破裂せんようにしなあきまへんから、もっとも重い、厳しい食事カルテですわ」

「パンかうどん、そうめんが主でごはんは一日一膳軽くですが⋯⋯」

「パンもうどんもすべてあきまへん」

「え? ほんとですか」

「食べてよろしいという0Kがでるまで、すべて駄目です」

「阿部はパンもうどんも食べてますが⋯⋯」

「あの人は血管の治療はすべて終ってます。めちゃくちゃせえへん限り破裂しません。

血糖値があがるお砂糖を口に入れない限り大丈夫なのです。あなたはよい時に来ましたよ。

このまま自分の食事をつづけていればよいと思ってたのでしょう?」

「ハイ、ぜんぜん大丈夫と安心していました」

「そうですやろ。家族さんで病人さんの食養生見て、自分もやっているからと思う人が多いん

ですわ。その人が先にあの世に行きよる。これがあかんのですわ。

Kちゃん、Kちゃん、食事のカルテあげて⋯⋯」


わたしの連れ合いのM診療所通いはこうして始まりました。

病人に付き添って来て、何となく自分も心配になって診て頂いたら、本人よりも重かったという場合が意外に多いのです。

かくて我が家は孫に至るまでM式食事法の実行家庭となり、現在に至っています。