昨夜、ネット徘徊していて気になる記事を見つけた。

 

 

なんのことはない天声人語なのだがw

 

俺はWeb版朝日の有料会員では勿論ないんで、この記事全文を読み取ることは出来ない。しかし無料でも目にすることの出来る最初の数行に、興味をそそるワードは散りばめられていた。

バチカンのサンピエトロ広場の北側「風の塔」と呼ばれる高い建築物がある。観光客でにぎわう美術館から見上げられる場所に位置するが、非公開なので気づく人はほとんどいない。16世紀後半に、時のローマ教皇グレゴリオ13世の命で建てられた▼20年ほど前に聖職者の招きで、塔内の「暦の間」を見せてもらったことが… 

 

「風の塔」というのは初めて聞く名だ。どういう訳だかその名に妙に興味をそそられた。場所はサンピエトロ広場の北側とある。だがバチカンの領域のなかでサンピエトロ広場は東側に飛び出したような恰好になっており、その北側にはローマの街との境界線が延びているだけだ。そんな場所に果たして「高い建築物」なんてあっただろうか・・・

 

勢いグーグルマップをあたってみたが、案の定それらしきものは見当たらない。

 

「もしや、サンピエトロ広場ではなく、サンピエトロ寺院の北側ということなのではないか・・・?」

 

少々アバウトに推理を巡らせて、システィーナ礼拝堂とか、その北側の縦に長いバチカン美術館の付近を見回してみたが、「風の塔」「高い建築物」「美術館から見上げられる場所」といった刺激的なワードに値するようなシロモノはマップ上では確認できなかった。

 

仕方ない、自分の足wで探すのはあきらめて「風の塔 バチカン」でググってみる。予想の遥か上を行く情報の少なさに戸惑いつつ、Wikipediaの「バチカン天文台」を紐解いた。

 

バチカン天文台の起源は、1578年から1580年にかけて建設された「トッレ・グレゴリアーナ(イタリア語版)」、通称「風の塔」にさかのぼる。これは、教皇グレゴリウス13世によって進められた暦の改革に必要な天文学的研究を行うために建設されたものである。風の塔では、太陽の南中高度が測定された。

 

とある。要はグレゴリオ暦の導入にあたり太陽の南中高度を正確に読む必要があったことから「風の塔にバチカン天文台を設けた」ということのようなのだが、実際にそれがどこにあったのかはWikiの記述では定まらなかった。

 

風の塔は天文台の出発点となったが、その後はバチカン教皇領外にあるコッレージョ・ロマーノに観測拠点が移され、さらにもとの場所でも天文台が再開されるなど紆余曲折経た後、街の光害を避けるためローマの南南東25kmほどにある教皇庁離宮ガンドルフォ城に移設されたとのことだ。現在も天文台の本部はガンドルフォ城にあり、Wikiに載る天文台ドームの画像もこの城のものとなっている。

 

さて、そんなさまざまな事情は解ったが、肝心の風の塔はどこにある(あった)のだろうか?コッレージョ・ロマーノもガンドルフォ城もバチカンの外の建造物であり、サンピエトロ広場であれ寺院であれ「その北側にある」という天声人語の記述とは大きくかけ離れている。

 

こんな調子じゃ、一晩中グーグルとコンクラーベか?w

とかなんとかふざけた思案を運びながらも案外ドンピシャの解説を施したページにすぐさま遭遇できた。なんでも「天文を中心に」情報を集めたサイトらしい。やはり餅は餅屋だ。

 

 

バチカン天文台といえばカステル・ガンドルフォ…というイメージですが、1935年に同地に移転するまで、バチカン天文台は文字通りバチカン市国(ローマ教皇庁)の敷地内にありました。 

 

おー、そうなのか! で、それはいったいどこに⁉

 

ウィキペディアの「バチカン天文台」の項【LINK】には、その歴史が書かれていますが、ちょっと記述がゴチャゴチャして分かりにくいので、他のソースも交えて、自分なりに整理しておきます。
 
まず、バチカン天文台の前史として、16世紀の暦法改革(=グレゴリオ暦の導入)のために、太陽の南中高度を観測する作業が、「トッレ・グレゴリアーナ」、通称「風の塔」で行われた…ということがウィキには書かれています。
 
「風の塔」とはまた素敵な名前ですが、この「トッレ・グレゴリアーナ」、英語でいえば「グレゴリアン・タワー」【LINK】の位置は下のような感じで、サン・ピエトロの北側になります。

 

なるほど上記引用元にはグーグルマップの画像が載せられていて、風の塔の位置が示されている。思っていたような塔のイメージとは異なり、これが「それ」なのか?となってしまった。ここはまさに、最初に当たりをつけて探した場所だ。なのに見つけられなかったのは無理もないだろうと思った。下に改めてマップのスクショ画像を載せてみる。

 

 

左上の赤丸の中がどうやら風の塔らしい。画像は真上が真北を指している。右下の広場がサンピエトロ広場だから、やはり「広場の北側」という天声人語の記述はミスリードに近いように思う。せめてシスティーナ礼拝堂の北側とでも書くべきだろう。

 

ちなみに画像右方面から塔を正面に見たスクショが下だ。

 

 

確かに美術館から見上げるような位置にはあるが、礼拝堂や寺院に比較すると高さでは明らかに劣っていて、こんな塔で南中高度の測定が行われ、それがグレゴリオ暦に繋がったと言われてもにわかには信じがたい気もする。天声人語の記述では塔の中に「暦の間」というものがあるらしいのだが、その名は先ほどの天文台を解説したサイトにも出ては来なかった。

 

ともあれ、突如としてその名が気にかかった「風の塔」の場所だけは探り当てることが出来た。天声人語にこれが載ったのは、いわゆる「復活祭」の日だった。肺炎で休養していた教皇フランシスコがサンピエトロのバルコニーに登場する絵を予期するように書かれたものなのかも知れないが、まさかその翌日に教皇死去のニュースが流れるとは思ってもみなかったはずだ。

 

もちろん、それもローマカトリックの長い歴史の一遍となるわけだが。

 

というわけで、俺がいつも書く内容とはずいぶんと違う系のものになったが、まぁたまにはということで。