「悪人の言うことなんか信用出来るわけないだろ!?」という理屈で自己正当化を図ろうとする者は、結局のところ、そういう「資質」を有しているということになるのだろう。
橋下氏は、会見の様子を報じた「『AさんのPCにわいせつ文書があった』と連呼…『死体蹴りやめろ』と会見はカオス」と題された記事を引用し、「この告発者の悪性立証は、絶対にやってはいけない行為。しかも告発を受けた権力者がやるのは最悪の権力行使」と指摘。
続く投稿でも「特に絶対にやってはいけないのは、告発者の悪性立証を告発を受けた権力者自身がやること。これは非民主国家の権力者がやること。今回の告発が不正なものか、虚偽なのかは、告発を受けた者がやるのではなく、第三者がやるもの。斎藤さんは、いまだ告発自体を認めないが、これは絶対にやってはいけない。権力者として失格」などとし、「やっぱり兵庫県政の大混乱の根源は、斎藤さんの資質によるな。権力を乱用する権力者の典型だ」と強調した。
この件、何周もまわって結局元の場所に戻ってるだけで「今更感」すらあるが、これは橋下の言うとおり(ただし一点を除いて)であり、はじめの一歩の段階から既に解りきっていたことだ。
どんな法にも余白があるから、それを何色で塗りつぶすかは法を運用しようとする立場によって見解が分かれるのは致し方無いところだ。しかし、権力者がどのような振る舞いをすべきかというのは、そもそも法に縛られるような次元の話ではない。
告発を受けた側が告発者を裁いて良いのなら、三権分立なんてメンドクサイ仕組みは、もとより必要すら無いではないか。それは権力者が己の意思で、自らを縛る仕組みを「無効だ」と宣言して構わないとするのと同じことだよ。そんなことが通るのは中国やロシア、北朝鮮での話であり、橋下の言うとおりそれは非民主国家の権力者がやることだ。
周囲からどれほどその指摘を受けても未だに自身の振る舞いを「適切だった」と言い張る斎藤は、民主国家における権力者としての資質を明らに欠いており、これも橋下の言うとおり権力を乱用する権力者の典型である。
当ブログではめずらしく橋下の主張を丸抱えしているようだが、実際俺は一点だけ異論がある。それは橋下の、
「やっぱり兵庫県政の大混乱の根源は、斎藤さんの資質によるな。」
という見解についてだ。
俺は何度もココで書いているが、斎藤の資質なんぞこの騒ぎの最初から解りきっていたことだ。しかしそんな資質云々よりも、真偽不明の個人情報から「不倫」のキーワードが掘り起こされた途端、「問題の本質は告発者の人間性にある」と全振りして斎藤を再選させた有権者の民意こそが、この大混乱を生み出した根本原因ではないのか。
権力者による権力の乱用という、本来であればきわめて重大なる体制的危機のはずが、なぜ「告発者の人間性」などという副次的な属性で簡単に上書きされてしまうのか。
これは、右か左かといった従来の大きな価値観の揺らぎとは全く異なるフィールドで、とある「向き」を持った微視的な価値に、多大に影響を受けてしまう人々が一定数居ることを物語っている。それはあたかもコロナワクチンに隠された「何か」や、安倍を打ち抜いた銃弾が語る「何か」、はたまたドミニオンを操る「何か」といった、ほとんど迷える子羊を救い給える神の啓示に近い「向き」だ。
そうした領域に価値を見いだそうとする者たちを納得させられる論理など、陰謀論を除けば皆無だろうという話だ。告発者が不倫してようがなかろうが、権力者による権力の乱用に影響を及ぼす要素などこれっぽっちも無いという事実を堂々と無視できる時点で、彼らにもきわめて特殊な「資質」が備わっていると考える余地がある。
民衆が権力者を縛るという、およそ民主主義社会の存立に不可欠な前提に立つごくフツーの有権者ばかりであれば、たとえその思想が右左どちらに傾いていようが権力の乱用を善しとするはずが無い。
兵庫県知事選における投票率は55.65%、そのうち斎藤の得票率は45.2%。実に有権者の25%以上が、権力者による権力の乱用より、告発者の人間性の方を問題視したということになる。もちろん個々の利益を軸とする別の文脈で斎藤を推した者も居るには居るだろうが、少なくとも権力の乱用という事実に対しスルーを決め込む点で同類と見て誤りは無いだろう。つまり、いずれにせよ権力者という局所的ノードに対する民主主義的トポロジーを持ち合わせていないのだ。これが民主主義の危機でなくて、いったい何なのだろうか。
斎藤は自身の振る舞いを正当化するために、告発者の人間性をおとしめ、卑下するのに躍起になっている。
俺はその様相を見るにつけ、かつて安倍晋三が森友・加計問題で窮地に陥った際、籠池夫妻を「詐欺師だ!」と連呼してその人間性をおとしめ、「詐欺師の言うことを信じるのか」という理屈でなんとか自身の立場を良くしようと必死になっていた姿を思い出す。
ところが、この決定的証拠を突きつけられた安倍首相は、こう繰り返して無茶苦茶な逃げ切りをはかった。
「籠池理事長はですね、まさに詐欺で逮捕され、起訴されました」
「逮捕され、詐欺でですね、そして、起訴された人物」
「まさに籠池氏は逮捕され、奥さんもですね逮捕され、詐欺罪で、起訴されました」
だが、ちょっと待ってほしい。籠池前理事長が逮捕、起訴されたのは補助金の不正受給疑惑であり、国有地が不可解にタダ同然で払い下げられたという森友問題の疑惑の本質とはまったく無関係だ。にもかかわらず、安倍首相は生出演中なんども「詐欺で逮捕された」と繰り返し、“詐欺師”“悪人”だと印象付けた。籠前理事長側にすべての罪をかぶせようとしたのである。
リテラはかなりの左傾メディアだが、このNEWS23の出演場面は俺もリアルタイムで見ていたから間違いない。あわあわして必死だったのをハッキリと覚えている。
自己の正当性についてきちんと弁明することのできない者は、必ずこのように「他者をおとしめることによって」自分の地位を引き上げようとするのだ。いつの時代も、特に権力者が使いたがる手法だ。
そんな様子を目の当たりにしながらもなお、権力者の手のひらに自ら乗りたがるような者が居る限り、どこぞの政治であろうが大混乱に陥るのは目に見えている。そんな者たちの鼻先に、ニンジンの代わりにUSBや公用PCをぶら下げてくれるような扇動者が居るとしたら、なおさらだ。