論文なんて書くまでもないだろうよ。その問いの答えはきわめて単純なものだ。
成田氏は「『なぜXではバカほど自信満々なのか』という論文を書きたい」と記した。
Xであろうがなかろうが関係ない。
端的に言って、バカは信じる力が強いからだ。
疑うことをせず、安易に信じてしまう。
逆の言い方をすれば、他人の言うことも、自分の言うことも、それが間違っているかも知れないと訝る力が、総じて弱いということになる。
だから今思いついたことをすぐ口にしてしまうし、見聞きしたこともすぐにオウム返ししてしまう。常に自らの好き嫌いを基準にして物事を判断し、まるでバーゲンセールにでも来たかのように、誰にも負けない速さで欲しいモノに飛びつく。
それはまさに、SNSにおける行動様式そのものではないか。
そんな自己の振る舞いの、いかにもな愚にすら気づかぬほどに、彼らは自分を信じて疑わないのだ。
なぜ疑わずにいられのるかと言えば、それはバカだからだ。
かくして強固な自信たりえる。
デカルトの記した、「我思う、ゆえに我在り」。
それは、「自分の存在すら疑わしい」という批判的精神によってのみ導き出され得た、思考の結晶である。
真実を求める者はその第一歩として、疑うことから始めなければならない。それが「唯一の方法」だというのだ。
だが、そのプロセスが果てしなく難儀であるというのもまた自明であり、それゆえ、そのすべてをすっ飛ばして「信じる」にたどり着くのが如何に楽かというのが、人類史上の共通認識であったというのも当然の成り行きである。
言い換えれば、結局のところそれが人間の本能だということだ。
バカで居ること、バカのまま暮らすことは、まさに本能の赴くままの姿なのであり、斯様に至って簡単なのだ。
当然ながら、それはまるで恋に落ちるのと同じ、と言っていいぐらいには。