「リブログされたらやり返す。リブログ・バーックだ!www」
(いや、これ一度やってみたかったものでw)
キクチ先生さんがリブログしてくれた記事なのだが、元記事はあくまで例の弁護士さんのであって、実際俺は何もしていないw
ただ、一つ前に書いた「崩壊」が、その直後に起きた韓国の戒厳令騒動をも予感した形となってしまい、我ながら気持ち悪い体験をしたなぁと感じているし、どこを見てもグチャグチャのように思える今、世の中がマジで危険性を孕んだ時代に差しかかっているんだと再認識せざるを得ない。
一見、為政者に対して「より大きな権力」を積極的に渡してしまおうという姿勢がいわゆる右翼に見られ、逆に為政者から出来るだけ権力を奪い、その分「より多様な権利」を生み出して人民にバラ撒こうという姿勢が、いわゆる左翼に見られるように思える。
だが実のところ左翼政権が誕生すれば、それはそれで権力における「恣意」も同じように育つのであって、右左のどちらかがよりマシな権力の使い方をするとは限らないのだ。民主主義体制を健康的に維持する鍵は、権力のバランスを適正にコントロールすることにある。
権力というのは、放っておくだけで雪だるま式に勝手に大きくなっていくものだから、人民は為政者にゆだねる権力を、可能な限り「出し惜しみ」するぐらいで丁度良いのだよ。だから、我々は民主主義社会において常に「親・権力」ではなく「反・権力」の姿勢でものごとを眺め、憲法が権力を縛ることの意味をかみしめながら生きていく必要がある。
政権の座に就くのが右翼勢力であれ左翼勢力であれ、反・権力の立場にはブレがなく一貫している。これがもし右翼政権賞賛とか左翼政権賞賛の姿勢なら、政権交代の度に、自らの「親・権力」「反・権力」の立場をフリップすることになってしまう。
そんなことでは、常に権力のフィールドに対して、バランスを欠いた自分の姿を見るだけだろう。
我々は決して美しい国なんか目指す必要はない。民主主義を標榜する国家として、健全な国を目指すべきだ。であれば権力の側にではなく人民の側に立って、あくまで人民の頭数に分散された権力の使い道を、その時々の世の趨勢を見極めつつ、バランスを崩してひっくり返ることのないよう、大切に、大切に考えて行こう。
むやみやたらに権力を為政者に授けてはならない。権力は必ず腐る。為政者の首根っこをしっかりと押さえ、常に念を押しながら、水戸黄門の印籠よろしく憲法をかかげて、この社会の主権者として、権力を健全に保って行こう。