なんでも過少評価でやり過ごせば何とかなるだろうってのは、もしかして自民党に倣ってのやり方なのか?

 

 

政治資金パーティーをめぐる裏金疑惑が取り沙汰される自民党安倍派「5人組」の一角、世耕弘成・前参院幹事長。世耕氏が理事長を務める近畿大学(本部・大阪)の教職員組合が「本学の社会的評価の低下を招く」として同氏の辞任を大学側に求めていたが、12月21日に大学側が要求を退けた。 

 

教職員組合の懸念は妥当だろう。近大と言えば、この頃は人気爆発で志願者数もずっと全国一位だぞ。こんなろくでもない男の失態に引きずられちゃ堪らない、早く手を打っておかねばと考えるのはいかにも合理的だ。

 

対して大学側の口上は極めて不合理である。

組合側は「大学の社会的評価が低下することは、そこで働く教職員にとっても直接的な影響がある」と主張したが、大学側は「直接的に労働条件にかかわるものではなく、義務的な団体交渉事項ではない」として退けたという。 

 

大学の社会的評価が低下すれば当然ながらマグロの評価も下がる。経済原理が労働条件に影響を与えるのは言うまでもない。それとも、世耕の存在はそれ以上の「経済的意義」が有るとでも言いたいのだろうか? ならばそっちの方が遥かに問題であり、傷口を広げ、輪をかけて社会的評価を下げる要素になるだろうに。

 

こうやって、「権力を利用する者」の思考はいつだって愚鈍なスピードの経過を辿る。今後根掘り葉掘りで日大の二の舞にならないよう、せいぜい気を付けた方が良いんじゃないのか?