だから、そもそもそれが勘違いなのだ。これは決してタレントを叩くための動きではないということ。
ジャニーズ事務所所属タレントのCMへの起用を見送る企業の動きは広がりを見せている。これについてGACKTは「アーティスト個人が何かやらかしてCMを打ち切るのはまだわかる。今回それぞれのアーティストは関係ない、というよりむしろ被害者。その彼らとのCMを打ち切るのはそもそもおかしいし不気味でしかない。それこそ、その企業のイメージダウンに繋がるんじゃないのか?」と投稿していた。
「事務所の問題は問題としてわかる。だが、そこにいる彼らまで攻撃するのは違う。そもそも被害者だろう、彼らは」
CMの打ち切りは、企業にとっては身を正す行動そのものであり、これまで見て見ぬふりして来た経緯を認めた上で、悪しき習慣から手を引こうという最低限の意思表示である。たとえ結果的にそうなっているとは言え、決してタレントを叩く目的でやっている訳では無いのだ。
ジャニーズ事務所の悪行を皆が認識した以上、ジャニーズ事務所の所属タレントがそこから完全に脱却して生まれ変わるまでは、周りの企業は安易に取引してはならないのが当然だ。もちろん、それによってジャニーズ事務所が被る不利益は直接所属タレントの上に降りかかるだろうが、その責任はそもそもジャニーズ事務所が取るべきものであって、取引先には無い。
そして「アーティストは被害者」という主張も、一理はあるかも知れないが、必ずしも一様にそうとは言い切れないだろう。彼らだって、中にはJr.の子たちの被害実態を知りつつ口をつぐんで来た者が少なからず居たはずだ。やはりそれは「自らの保身のため」という側面を拭い切れないのではないか。
現時点で完全な被害者と言えるのは「当事者の会」に所属して被害を訴えている者たちだけと考えるべきだ。もちろん真相は不明で、彼らの中には虚偽の証言をする者が居るかも知れない。逆に何も言わない者の中にこそ、本当の被害者が紛れている可能性も大いにある。が、少なくともジャニー喜多川による過去の虐待・パワハラが事実認定された以上、「当事者の会」が訴えている被害こそが、この問題の被害者を決定付ける要素であると定義するしか無いのだ。
大前提として、人や物事を善・悪の二元論に帰すなど不可能なことである。鬼畜とされたジャニー喜多川にしたって、ショービジネスの世界で築いた名声は絵空事では無いし、達郎が言うような「ご恩」を感じる者が多数居るのも事実だろう。その世界に蔓延した空気が、次第にマスメディアや企業を通して一般社会を包んで行ったのも事実である。所属タレントであれば尚更、その最も濃い部分の空気に包まれていたはずだ。
権威とか権力といったモノが怖いのは、そうやって知らず知らずのうちに皆が飲み込まれて行ってしまうからだ。トップに居るのが善人か悪人かなんて関係無い。善悪の判断など及ばぬような、「空気」という名の価値観に全体が支配されてしまう。習慣化による思考停止が、必ずそれを招くことになる。だからこそ、気づいた時には大々的な修正が必要となるのだよ。
今、この社会はその修正作業の入り口に辿り着いたばかりだ。企業のCM切りはこの作業に必須の判断であり、道のりにはまだまだ先がある。所属タレントの立場も、ただ保全されることだけが彼らにとって良いとは言えない。少なくとも、彼ら自身も生まれ変わる必要があり、そのためには「ジャニーズ」の名を捨て去る覚悟が当然求められる。
ジャニーズ事務所の所属タレントを生かす道はただ一つ。まったく新しい事業を立ち上げて、タレント・マネジメントの全業務をそこへ移すことだ。ジャニーズ事務所本体は被害者への補償業務に専念し、新事業を譲渡した後、廃業を覚悟せよ。全所属タレントは完全に移籍し、「ジャニーズ」の名を捨てて、新しい会社・新しい名前・新しいスタッフで再始動する。メディアや企業は積極的にタレントを起用するなどして再生を応援する意思を示すべきだ。そうやって、過去の「見て見ぬふり」の罪を償うべきだし、やむを得ぬとは言え現時点でのCM打ち切りなどで彼らに負わせた不利益を回収する義務もあるだろう。
実際のところ、単純に「タレントに罪は無い」とは言い難い。見て見ぬふりだったのは、全方位同罪なのである。ただ、だからと言って彼らを「見殺し」にして良い訳が無い。才能ある若い人たちを宙に浮かせたままにするのは社会にとっての損失でもある。過去の悪習による負の遺産をここで完全に絶ち、如何にして彼らの再起を支えて行くかについて、ジャニーズ事務所だけでなく、これまで彼らの存在から利を得てきたマスメディアや広告代理店や企業が、共に知恵を絞るべきフェーズに差し掛かっている。今問われているのは、皆がその「覚悟」を決められるか否かなのだ。