この人は基本的に「好き・嫌い」でモノを言う人だと思っているので深く同調する気も無いが。

ただ産経の「正論」としては、ひさびさに切れ味の鋭いものを読んだ気がするなぁ。

内部をむしばむ国民の深い諦め 評論家・西尾幹二

国民は何かを深く諦めているのである。政府がアメリカに対して、国防だけでなく他のあらゆる分野で戦略的に先手を打てないでいる消極性は、国民生活のさまざまな面で見習うべき模範となり現状維持ムード、その日暮らしの同調心理を育てている。 

だから、いろいろやってるように見せかけて実は大したことは何もやってない現政権の支持率も簡単には落ちないし、政権政党の党員全体にもあからさまに「日和見姿勢」が行き渡っているという訳だね。

スポーツ団体から企業社会までそういう政府のまねをする傾向が強くなる。組織は合理性も精神性も失い、それぞれが表からは見えない「奥の院」を抱え、内部でひそかに一部の人々が権力をたらい回ししている。

「奥の院」ね。日本人はもともと奥の院が好きなんだよ。別にそれは現政権から有り難く教えを賜ったというものでもない。遥か昔から、隷従することを厭わない極めて強い傾向がある。この現代でさえ、日本のいちばん深い「奥」には何が横たわっているのか。それを考えれば、今の態様もさして不思議なものとは思わない。

政府の行動は学校の先生が生徒に与えるのと同じような教育効果がある。だから怖いのである。今日の出来事は明日は消えても、明後日は違った形で蘇(よみがえ)るであろう。 

そういう意味では、現政権の国民に対する教育効果なんて別段大したものじゃない。(まぁ、飼い犬を躾ける手腕はなかなかのものだという事だけは判っているがね。)

 

むしろ、現政権が一体どこから教育を受けたのか、どのような実体の影響を受けてこうなっているのか。何を蘇(よみがえ)らせようとしているのか。それにこそ注意が必要だ。かつて絶大なる教育効果を発揮した政権は確かに存在し、この国の民は容易くコントロールされた。そのやり方を真似て、国民に「宗旨」を押し付ける手法を練成させ続けている現政権の思惑を見過ごしてはならない。「諦め」があるからといって、決してをれを「信仰」に転じさせてはならない(さもなければ「~の犬」と化すだろう)。

 

俺たちは、維新150年に際して浮かれているのではなく、今こそしっかりと闇を見つめて掘り起こすべき機運であると、若者たち、子供たちに伝えよう。もはや悪い意味での「保守」を無理矢理発動させている場合ではない。この国の将来のために、良い意味での「革新」を遂げて行くことを誓うべきだ。