今、苫米地博士の近未来のブッダという本を読んでいますが、
仏教の一番理解できないところが
無我というところなんですよね~。
本山先生は場所的個として
意識体は肉体を超えるという意味で
肉体に縛られた我がないといっているので、
そういう意味では
無我は理解できるのですが、
どこまでいっても正直
自分が生きている限り
自分の意識の中心の視点が残るので、
その限りで自分がなくなるなんてことは
やはり想像しにくいのです。
その点、ジャイナ教は
ずっとアートマンといういわゆる魂を認めるので
どこまでいって言っても自分はあるというスタンスで
割と理解しやすいです。
その代わり、全知全能の神はいないというか
そんなものはあったとしても
我々の認識できないレベルのものなので
議論してもあまり意味がないという点でも
かなりしっくり部分があります。
もちろん、解脱した仏のようなティルタンカーラや
神々はあるという設定になっているので、
崇高さや神聖さを目指すことができます。
まあ正直、無我というのも
ブッダレベルになったらわかるのでしょうが、
今世でそれが実現しないような気もするので、
やはり私はジャイナ的な生き方がしっくりくるのかなと
改めて思いました~。