今日は金曜日ということで
いつもならば大掃除のはずでしたが、
インドツアーの準備に追われてました。
といってもほとんどヒンディー語の勉強でしたが、、、
勉強しすぎてご飯を作る暇がなかったので、
完全ベジタリアンの南インドの店に入り、
ベジチーズドーサなるものを頼みました。


(250円くらい)
これは激ウマでした。
またここにきて絶対に自分で作れるように
味を覚えたいと思ってますw
久しぶりの美味しい食事で心身共に満たされた後、
またヒンディー語の続き始めました。
今日は昨日ブログに書いたように
動詞の活用を徹底的に反復練習し、
活用の言語感覚を体得しました。
実はこの体得ということは凄く重要で、
頭で理解することとは全然違います。
脳科学的に言うと、
理解するだけの作業は
神経回路に一回電気を通せばよいだけ。
それを使いこなすためには、
実は最短距離での神経回路の再構築が必要になります。
そしてこの神経回路の再構築ことが
一番の苦痛なのです。
なぜなら、神経回路がかわるということは
現在の自分が壊れてしまうから。
要するに居心地のよいコンフォートゾーンを
出てしまうから生命としての自分としては嫌なのです。
ここに勉強嫌いの根本的な原因があります。
要するに
「賢くなりたいというゴールがない」
ということ。
賢くなる意味がわからないし、
なぜ賢くなる必要があるのかがわからないのです。
まあ、先進国では賢いことが生きるには有利なので、
親の洗脳によってそこをクリアしている人もいますが、
その人の洗脳が解けた時の反動はかなり致命的になります。
そこでなぜ賢くなる必要があるかというと、
賢くないと聖者の言葉が理解できないからです。
文字通り、聖者の言葉が理解できないと
どのようにしてカルマから自由になればよいか
いつまでたってもわかりません。
なぜならば、神の代理として
真の言葉を発することができるのは
聖者しかいないからです。
もちろん現在生きている聖者でも
過去の聖者でもよいですが、
いずれの場合でも彼らの言葉を理解できるようにしないと
いつまでたってもこのカルマに満ち溢れた世界から真の意味で開放されません。
まあ今はカルマから来る痛みや苦しみを
ストレスという言葉で片づけてしまい、
物質的なもののせいにしているので、
その解決策も
物質的なものを癒す方向に
目を向けています。
一時的に苦しみを忘れさせてくれる
脳の快楽中枢を刺激するものにあふれているので、
余計にそこから抜け出すのは難しいかもしれません。
しかし、気づいた人は
真の道はカルマから解放されることの重要性がわかるので、
それを理解するために自分が賢くなる必要があると考え始めるのです。
そして賢くなる過程で、
自分の現状はどんどん破壊されると同時に
聖者の言葉も理解できるようになります。
そして、言葉以外の非言語の領域において
聖者のメッセージを受け取れるようになったとき、
最終的な道へと進むことができると賢者たちは言います。
このような意味において、
ただしく物事を知り、賢くなることは
とても重要なのです。
いつもならば大掃除のはずでしたが、
インドツアーの準備に追われてました。
といってもほとんどヒンディー語の勉強でしたが、、、
勉強しすぎてご飯を作る暇がなかったので、
完全ベジタリアンの南インドの店に入り、
ベジチーズドーサなるものを頼みました。


(250円くらい)
これは激ウマでした。
またここにきて絶対に自分で作れるように
味を覚えたいと思ってますw
久しぶりの美味しい食事で心身共に満たされた後、
またヒンディー語の続き始めました。
今日は昨日ブログに書いたように
動詞の活用を徹底的に反復練習し、
活用の言語感覚を体得しました。
実はこの体得ということは凄く重要で、
頭で理解することとは全然違います。
脳科学的に言うと、
理解するだけの作業は
神経回路に一回電気を通せばよいだけ。
それを使いこなすためには、
実は最短距離での神経回路の再構築が必要になります。
そしてこの神経回路の再構築ことが
一番の苦痛なのです。
なぜなら、神経回路がかわるということは
現在の自分が壊れてしまうから。
要するに居心地のよいコンフォートゾーンを
出てしまうから生命としての自分としては嫌なのです。
ここに勉強嫌いの根本的な原因があります。
要するに
「賢くなりたいというゴールがない」
ということ。
賢くなる意味がわからないし、
なぜ賢くなる必要があるのかがわからないのです。
まあ、先進国では賢いことが生きるには有利なので、
親の洗脳によってそこをクリアしている人もいますが、
その人の洗脳が解けた時の反動はかなり致命的になります。
そこでなぜ賢くなる必要があるかというと、
賢くないと聖者の言葉が理解できないからです。
文字通り、聖者の言葉が理解できないと
どのようにしてカルマから自由になればよいか
いつまでたってもわかりません。
なぜならば、神の代理として
真の言葉を発することができるのは
聖者しかいないからです。
もちろん現在生きている聖者でも
過去の聖者でもよいですが、
いずれの場合でも彼らの言葉を理解できるようにしないと
いつまでたってもこのカルマに満ち溢れた世界から真の意味で開放されません。
まあ今はカルマから来る痛みや苦しみを
ストレスという言葉で片づけてしまい、
物質的なもののせいにしているので、
その解決策も
物質的なものを癒す方向に
目を向けています。
一時的に苦しみを忘れさせてくれる
脳の快楽中枢を刺激するものにあふれているので、
余計にそこから抜け出すのは難しいかもしれません。
しかし、気づいた人は
真の道はカルマから解放されることの重要性がわかるので、
それを理解するために自分が賢くなる必要があると考え始めるのです。
そして賢くなる過程で、
自分の現状はどんどん破壊されると同時に
聖者の言葉も理解できるようになります。
そして、言葉以外の非言語の領域において
聖者のメッセージを受け取れるようになったとき、
最終的な道へと進むことができると賢者たちは言います。
このような意味において、
ただしく物事を知り、賢くなることは
とても重要なのです。