新年おめでとうございます。

 

久しくブログを書いていませんでした。

とくに大きなネタもないのですが、最近思ったことを書きます。

 

表題の通りベクトルのことなのですが、筆者には「ベクトルとは何か?」という問題意識が高校のときからずっとあります。

はじめて高校でベクトルを習うときは、「大きさと向きをもつ量だ」とか、場合によっては(ちょっと乱暴かもしれませんが)「矢印だ」とか教わります。

そして、3年で行列を習うと、「ベクトルは実は行列の一種なんじゃないか?」とか、「掛け算・割り算(らしきもの)ができるから、行列(ベクトルも含めて)は数なのか?」とかいろいろなことを考えます。

大学に入ると、“抽象ベクトル”というものが出てきて、「〇〇の規則を満たすものをベクトル空間という」「よく知ってる座標なベクトルはたくさんある“ベクトル”の中の一つでしかなく、とくに“数ベクトル”という」とか言われます。

なかなかベクトルの正体がつかめませんが、さらに、線形代数で連立方程式をやると、ベクトルは「たくさんある式をひとまとめにする道具」のように見えてきます。

この「ひとまとめにする」感覚は、高校のときすでに垣間見ているかもしれません。

平面(2次元)のときは気づきにくいですが、空間(3次元)になると、「3つのことを同時にやっている」ことに気付かないでしょうか。

ベクトルの良さとして、平面での公式(内分点・外分点や、内積の公式)が、(ベクトルで書いている限り)空間でもそのまま同じ式で成り立つことがあります。成分を使ってベクトルから座標に直すと、空間では本来3つ計算しなければならないものをベクトルを使ってひとまとめにしていることがわかります。

行列を習っていた昔の高校生なら、連立方程式のところでより一層「ひとまとめにしてる」感が味わえるでしょう。

以前、窪田忠彦『微分幾何学』(岩波全書)を読んでいたら、空間の公式をしっかり成分(座標)で書いてあって、ベクトルで書くといかに簡潔かが痛感されました。(この本が悪いとか言っているのではなく、スタイルの問題です!)

「簡潔に書くための道具」というのは、ベクトルの重要な一面です。

 

ただ、「簡潔に書くための道具」というだけがベクトルと思うと、ベクトルの存在意義がわからなくなってきます。なにか、ベクトルにはもっと大切な性質があるはずだと、自分の直感が言っています。

ベクトルにしかできないことを求めていくと、足し算・引き算は式を並列しているだけですが、内積は違うことがわかります。計算結果がベクトル(2つないし3つの成分)から実数(1つ!)に変わるからです。内積は、単なる並列から一歩外に踏み出すものです。

 

「そうか、内積がベクトルの肝だったのか」と思ってしまいますが、よく考えると、大学の“抽象ベクトル”では、内積がなくても、「足し算・引き算」(ほかに零元の存在、逆元の存在などもありますが)だけで、“ベクトル”と言われます。内積が出てくるには、「計量」のところまで待たないといけません。それに、有名なところではバナッハ空間という、内積を考えない無限次元の空間もあります。

正確には、一般のベクトルには内積は必ずしも必要ないが、「“数ベクトル”は、内積がないと、実数の並列と同じ。」ということなのでしょう。

 

それなら、「足し算・引き算だけになのに、実数の並列とは本質的に異なるベクトルの例」はあるのでしょうか?

 

「ぱっと見、実数の並列とは違う」例は作れると思いますが、残念ながら、それは「見た目」レベルでのことです。線形代数の定理によって、有限次元の場合は、どんなベクトル空間にも有限個の元からなる基底があって、どのベクトルも、その線形結合(一次結合)で書けることがわかっています。

 

ということは、結局、成分で書けるので(成分は係数のこと!)、数ベクトルと同じものになってしまいます。(任意のn次元ベクトル空間は、数ベクトル空間と同型。)

 

では、やはり(有限次元の)ベクトルは実数の並列に過ぎないのでしょうか?

よくわからなくなってきたので、今回はこれで終わります。思ったより長くなってしましました。