音楽を聴き持って、作業していることが
多いのですが、
フォークを聴いていて、それから、それが終わって、
次に入っているクラシックになりました。
フォークの最後の曲も、クラシックの最初の曲も、
同じような曲調で、「生きていると辛いことがある」的な
なんとなく寂しい曲でした。
いいつながり方じゃないか、と思っていたのですが、
気になったことがありました。
前から、歌謡曲とクラシックの間に感じていたことなのですが、
クラシックは、それらと並べられると、
とても弱い。
出力が強度に欠けるというか、遠くから聞こえてくるような、
とくにかく、クラシックに変わった瞬間に
肩身の狭い思いをします。
単純に音量の問題もあるでしょうが、
今日は、クラシックにしらじらしさを感じました。
クラシックには、人間味に欠けると事があるんじゃないだろうか。。
しかし、
しばらく聴いていいると、
そんな感じはなくなりました。
やはりクラシックも人間が作ったものだと思いました。
どの分野にも、それを聴くためのモードというものが
あるのでしょう。
フォークだって、ロックの後に聴けば、居心地が悪いかも。
「モード」にはこれからも考えさせられそうです。
で、
先程、他の人のブログを見ていて、
ノアの箱舟の映画が面白かった、と書いてあるのを
読んだんです。
最近は、ペルセウス・・・じゃなくて、
プロメテウスの・・・
いや、ヘラクレスの映画が公開中だったか、公開前だとかで、
宣伝していました。
ペルセウスは、古いコマ撮りの映画があり、技術に感心しますが、
今回のヘラクレスは、CGを駆使しているようです。
と、ノアの箱舟と聞いて、ヘラクレスを想像してしまいましたが、
ノアの箱舟に関しても、最近読んだ本に出てきたので、
「あれまー」と思っていました。
ボルヘスの『幻獣辞典』(柳瀬尚紀 訳、スズキコージ 絵、晶文社)を
図書館で発見して、借りてきたところ、
ノアの箱舟の話も載っていたのです。
絵本コーナーに置いてあったのですが、
絵はほとんどありません。
幸いにも、ノアの箱舟のところには、絵があります。
箱舟、箱舟といっていますが、
もちろん、箱舟が幻獣なのではなくて、
毛むくじゃら獣という怪物のページに箱舟の話が出てくるのです。
この怪物は、箱舟に乗せてもらえなかったんですが、
なぜか洪水を生き残り、乗せてもらえなかった腹いせか、
悪の限りを尽くします。(尽くしてないかもしれないけど、まあねえ)
ノアや、箱舟に乗せてもらった人(動物)からすれば、
困りますよね。
見捨てた(振り分けた?)やつが生きてたなんて。
結局、この怪物は、
恋人を食われた男によって、急所のしっぽを切られて
死んでしまいます。
もともとろくでもないやつだから、
箱舟に乗せてもらえなかったんでしょうけど、
ある側面から見れば、ひどい話です。
男とその恋人を、乗せず、怪物の方を乗せていたらどうでしょう?
男は恋人を、怪物によってではなく、神の洪水によって
なくすことになります。ただし、男も死にます。
怪物は生き残ります。
が、どうせ悪い奴には違いないので、誰か英雄が出てきて斃します。
どちらがましか、良く分からなくなってきましたが、
とにかく、
ノアとその他箱舟に乗せてもらった人たちが、
生きていた怪物を見て、罪悪感を覚えたという話なら、
興味深い話だと思います。
しかし、実際は、
「なんで生きてるんや、いなくなればよかったのに」と
みんな思って、ノアもそう思ったような気がします。
勝手に、想像してますが、
ノアってどんな人だったのでしょうか、
ノアの箱舟の話を読んでみないといけませんネ。
神様は、なぜ、毛むくじゃらを生かしたのでしょう?
「なぜか生き残った」というのは、人間の感想で、
神は全知全能なんですから、ミスったなんてことはありえない。
なんか意味があったんでしょう。気になる。。
毛むくじゃらページには、スズキコージの描いた
毛むくじゃらの絵があります。
なかなかかわいい動物ですが、
よく見ると、少女をさらっていくところです。
少女の手が毛のなかに埋もれているのが、絵心でしょうか。
水木しげるの『水木しげるの世界幻獣事典』(朝日新聞社)にも
毛むくじゃらは載っています。
こちらは、爬虫類性を前面に出していて、絵もリアルで、
おせじにもかわいいとは言えません。
「爬虫類だったの?」と思われたかもしれませんが、
一応そういう要素ももっていると、伝えられています。
スズキコージの毛むくじゃら獣も、しっぽと手は怖いですよ。
多いのですが、
フォークを聴いていて、それから、それが終わって、
次に入っているクラシックになりました。
フォークの最後の曲も、クラシックの最初の曲も、
同じような曲調で、「生きていると辛いことがある」的な
なんとなく寂しい曲でした。
いいつながり方じゃないか、と思っていたのですが、
気になったことがありました。
前から、歌謡曲とクラシックの間に感じていたことなのですが、
クラシックは、それらと並べられると、
とても弱い。
出力が強度に欠けるというか、遠くから聞こえてくるような、
とくにかく、クラシックに変わった瞬間に
肩身の狭い思いをします。
単純に音量の問題もあるでしょうが、
今日は、クラシックにしらじらしさを感じました。
クラシックには、人間味に欠けると事があるんじゃないだろうか。。
しかし、
しばらく聴いていいると、
そんな感じはなくなりました。
やはりクラシックも人間が作ったものだと思いました。
どの分野にも、それを聴くためのモードというものが
あるのでしょう。
フォークだって、ロックの後に聴けば、居心地が悪いかも。
「モード」にはこれからも考えさせられそうです。
で、
先程、他の人のブログを見ていて、
ノアの箱舟の映画が面白かった、と書いてあるのを
読んだんです。
最近は、ペルセウス・・・じゃなくて、
プロメテウスの・・・
いや、ヘラクレスの映画が公開中だったか、公開前だとかで、
宣伝していました。
ペルセウスは、古いコマ撮りの映画があり、技術に感心しますが、
今回のヘラクレスは、CGを駆使しているようです。
と、ノアの箱舟と聞いて、ヘラクレスを想像してしまいましたが、
ノアの箱舟に関しても、最近読んだ本に出てきたので、
「あれまー」と思っていました。
ボルヘスの『幻獣辞典』(柳瀬尚紀 訳、スズキコージ 絵、晶文社)を
図書館で発見して、借りてきたところ、
ノアの箱舟の話も載っていたのです。
絵本コーナーに置いてあったのですが、
絵はほとんどありません。
幸いにも、ノアの箱舟のところには、絵があります。
箱舟、箱舟といっていますが、
もちろん、箱舟が幻獣なのではなくて、
毛むくじゃら獣という怪物のページに箱舟の話が出てくるのです。
この怪物は、箱舟に乗せてもらえなかったんですが、
なぜか洪水を生き残り、乗せてもらえなかった腹いせか、
悪の限りを尽くします。(尽くしてないかもしれないけど、まあねえ)
ノアや、箱舟に乗せてもらった人(動物)からすれば、
困りますよね。
見捨てた(振り分けた?)やつが生きてたなんて。
結局、この怪物は、
恋人を食われた男によって、急所のしっぽを切られて
死んでしまいます。
もともとろくでもないやつだから、
箱舟に乗せてもらえなかったんでしょうけど、
ある側面から見れば、ひどい話です。
男とその恋人を、乗せず、怪物の方を乗せていたらどうでしょう?
男は恋人を、怪物によってではなく、神の洪水によって
なくすことになります。ただし、男も死にます。
怪物は生き残ります。
が、どうせ悪い奴には違いないので、誰か英雄が出てきて斃します。
どちらがましか、良く分からなくなってきましたが、
とにかく、
ノアとその他箱舟に乗せてもらった人たちが、
生きていた怪物を見て、罪悪感を覚えたという話なら、
興味深い話だと思います。
しかし、実際は、
「なんで生きてるんや、いなくなればよかったのに」と
みんな思って、ノアもそう思ったような気がします。
勝手に、想像してますが、
ノアってどんな人だったのでしょうか、
ノアの箱舟の話を読んでみないといけませんネ。
神様は、なぜ、毛むくじゃらを生かしたのでしょう?
「なぜか生き残った」というのは、人間の感想で、
神は全知全能なんですから、ミスったなんてことはありえない。
なんか意味があったんでしょう。気になる。。
毛むくじゃらページには、スズキコージの描いた
毛むくじゃらの絵があります。
なかなかかわいい動物ですが、
よく見ると、少女をさらっていくところです。
少女の手が毛のなかに埋もれているのが、絵心でしょうか。
水木しげるの『水木しげるの世界幻獣事典』(朝日新聞社)にも
毛むくじゃらは載っています。
こちらは、爬虫類性を前面に出していて、絵もリアルで、
おせじにもかわいいとは言えません。
「爬虫類だったの?」と思われたかもしれませんが、
一応そういう要素ももっていると、伝えられています。
スズキコージの毛むくじゃら獣も、しっぽと手は怖いですよ。