実は小学校では、帰納法を習います。
数学的帰納法は高校で習います。
小学校の帰納法は、理科で
何度か実験したことから、一般的な法則を見出すことです。(たぶん)
帰納法という言葉は知らなくても、これは、だれでもできます。
しかし、数学的帰納法は、そんなに簡単ではないかもしれません。
わかってしまえば、簡単ですが、
だれもがすぐに理解できるわけではありません。
数学的帰納法は、演繹です。
だから、小学校の帰納法がわかっても、数学的帰納法がわかるとは限りません。
数学的帰納法は、
1) n=1のとき正しい
2) n=kのとき正しいならばn=k+1のときも正しい
1)と2)を両方とも証明すれば、すべての自然数nで正しいといえる
というものです。
数学的帰納法がわからないときの疑問を挙げてみましょう。
あ) 1)はいらないんじゃないか
い) 1)と2)でなんですべてのnになるのか
う) 言わんとすることはわかるし、直観的にも納得できるが、
数学的帰納法が論理的に正しいとする根拠はあるのか
他にもあるかもしれませんが、とりあえずこれだけで。
あ)について
2)が単なる文ではなくて、「ならば」を含んだ文であることを忘れていないか。
「AならばB」というのは、
「Aが正しいときはBも正しい、Aが正しくないときはBのことは知らん」
という意味なので、
問題の命題が正しくなるようなkがなくても2)を証明することができる。
具体例として次の問題を考えよう。
問題.nはどんな自然数でもいいとする。
このとき、nに1を足すとn+2になることを証明せよ。
これは明らかに間違いである。どんな自然数でも1を足せばn+1である。
しかし、この問題に関して2)を証明することができる。
n=kのとき正しいと仮定する。
つまり、kに1を足すとk+2になる、すなわち「k+1=k+2」と仮定する。
すると、(k+1)+1=(k+2)+1=(k+1)+2
となり、n=k+1のときも正しい。
よって、2)が示された。
2)が証明されたことが納得できるだろうか。
「kに1をたすとk+2になる」という間違った命題を仮定していることが
気い持ち悪く感じられるかもしれないが、
2)というのは、「n=kのとき正しいならば・・・」という命題なので、
「n=kで正しいときはn=k+1でも正しい、n=kで正しくないときはどうなってもかまわない」
ということであり、
仮定が現実に正しいかどうかは、2)を証明するには問題にはならない。
もちろん気持ち悪いままでは終わらなくて、この気持ち悪さを解消するのが1)である。
n=1のとき、1+1≠1+2だから、正しくない。
よって、全体を見れば
「nはどんな自然数でもいいとする。このとき、nに1を足すとn+2になる」
は、ちゃんと証明されていない。
これが、数学的帰納法が2)だけでは不十分で、必ず1)も証明する必要があることを
示すひとつの具体例である。
い)について
これはう)とも関係してくるが、
う)に関係することは「う)について」で言うことにする。
あなたが1)と2)を証明したとする。
だれかが来て、「n=10のとき正しいのか?」と聞いてきたとする。
あなたは、
「1)を証明したから、とりあえずn=1では正しい。
すると、2)をn=1のときに使って、n=2のときも正しい。
すると、2)をn=2のときに使って、n=3のときも正しい。
すると、・・・」
という具合に10回繰り返して、n=10のとき正しいことを、
実際に10回計算なり論証なり代わりに、2)という抽象的な“定理”を10回適用して
示すことができる。
2)という“定理”を適用するといっても、実際は「正しい、正しい」と言うだけだから、
「適用」はほとんど形式的なものであり、
この一連の儀式をまとめて「数学的帰納法」と一言で表しているのである。
だれかが「n=10000のとき正しいのか?」と聞いてきたら
やはり、1)が証明してあるから、2)を10000回適用して正しいと結論できる。
10000回も「正しい、正しい」というのは無理だとかいうことを心配することはなくて、
“原理的に”できることが大事なのであり、実際に人間ができるかどうかは問題にならない。
う)について
これは、「数(or数学)とはなんだろう」的な題名の本を図書館で借りてくれば、
詳しい説明が書いているかもしれない。
しかし、数学とはなんなのかの根源を追及するのでなければ、
とりあえず、「直観的にそうなるでしょ」という程度の理解で十分である。
実は、筆者自身が、勉強不足のせいか、う)の疑問をもっているので、
皆さんに説明することはできない。
しかし、これまでのところそれで困ったことはないし、なんかの本で、
数学的帰納法は公理とすると書いてあったような記憶がある。
気になる人は、数学基礎論がなんかの本を読んでください。