呪いの詩の話をしてくれた人が言うには、愛の実際の意味は「無能の正当化」で、子供になら或る程度は必要だろうが、それを大人に使うのは狂気以外のなんでもないと。無能がいいんならさっさとあの世に帰ればいいと。あの世では能力は必要ではないからと。生きると言うのは能力の遊びで、無能を正当化したら生きる事が無意味になると。それが正しい訳がないだろうと。弱肉強食は正義ではないが、能力で地位を差別するのは悪ではないと。無能が正義なら完全な無能が最も正しい事になるが、完全な無能なら知能が無い。それが正しい訳が無いだろうと。そもそも、あの世でさえ完全な無能ではないと。完全な無能は存在しないと。愛が正義になればこの世は終わると。まあそんな感じの話でした。「愛は無能の正当化」と言うのは、聞いたその時はどうとも思わなかったんですが、いま思うと、言われてみれば、とは思います。それに、愛が正義になれば確かに世界は終わるような気がします。「無能の正当化=生きる事の否定」ですからね。