大阪の1日の新規感染者の数、死者数だけを見るとただ事ではない気がします。

しかし、いつもいうように、恐れるべきはウイルスではない。人ではない。それらを恐れるか恐れないかで分断が生じます。

今は、神を畏れて一致して乗り越えていく時だと確信します。


昨日は私をも吹き飛ばすような大風が吹きました。

ただただ神様に憐れみを乞い祈るばかりです。

そして、この時に何をすべきなのかを心静めてしっかりと一語一句、神様の言葉を聞き逃さないようにしたいです。

頼るは神のみ!

昨日吹かせてくださった大風が憐れみと恵みの風であってほしいと強く願いました。

しばらく様子を見ながら神様に問い続けます。


現実、大阪はどんな状況下にあるか、このブログはとても明確です。

https://ameblo.jp/osaka-corona/









箴言では、いかに神から与えられる知恵が尊いものであるかが主題でもあり、同じ著者ソロモンの書である「伝道者の書」(コレヘトの言葉)もそれは一貫しています。

快楽を求めるより、弱い立場の人に寄り添うことがどれだけ尊いかについても語られます。今日の章の46節です。


・知恵ある者の心は喪中の家に向き、愚かな者の心は楽しみの家に向く。

・知恵ある者の叱責を聞くのは、愚かな者の歌を聞くのにまさる。

・愚かな者の笑いは、なべの下のいばらがはじける音に似ている。これもまた、むなしい。


さらには、今私たちが置かれた状況を考えさせられるような78節です。

・しいたげは知恵ある者を愚かにし、まいないは心を滅ぼす。

・事の終わりは、その初めにまさり、忍耐は、うぬぼれにまさる。

新型コロナ禍の中で、人間とは本当に忍耐の足りないものだなあと思わされます。


そして10節にはこのように書かれています。

「どうして、昔のほうが今より良かったのか」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。


「コロナ禍がなかった頃はよかった!あれもできた!これもできた!」

そんなことを言っていないでしょうか?

「あの頃に戻りたい早く元に戻してください!」

そんな風に祈っていないでしょうか?

神様は、患難、忍耐、練達の後に、失望に終わることのない希望を与えると約束されるお方!

この禍を通して、神様の素晴らしいご計画がなされることを私は固く信じます!ハレルヤ!

今から、感染者が多く出た家の近所の隣の市の界隈を歩きながら歩行の祈りをしてまいります!

主よ、憐んでください!

人の知恵とはいかに浅はかで、神の叡智には到底及びもつかないちっぽけなものであることを。しかしながら、神様の知恵を与えられたいと願いつつ、歩みます。憐んでください!






イエスの山上の垂訓が始まりました。本日の箇所の前の節では、天に対しても、地に対しても誓うな!と戒めています。決して誓ってはいけないとイエスは言われます。

天は神の御座であるから、そして、地は神の足台であるからです。さらに、エルサレムは偉大な王の都であるから、エルサレムを指して違うのも厳しく禁じているのです。

そして本日の箇所です。

確かに私たちの髪が白くなるのも黒くなるのも全て神の許しがあってのこと。神の御業です。

誓ってはいけないこれは重い言葉です。

では私たちはどうしたら良いか。

その答えは、「『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。」

神のご計画の一部として皆生かされています。一人一人の人生を握っておられるのは神です。自分の思いを優先することなく、天からの使命は何か、神の御声を聞き、「はい」「いいえ」と答えることのできる神との麗しい関係が持てるものでありたいと強く願います。ただし、「いいえ」と言ったところで神の御心だけがなりますから、人は神に全面降伏するしかありません。