なんば「ゆかいにコーラス」の日は、9月に再開以来、毎回、100%雨!でした。

今日は、朝はなんば、一旦帰宅してから、住吉東の角家先生のところにメンテナンスに伺います。
11月来、両手親指腱鞘炎の痛みとの闘い…朝方が特に痛みます。
お仕事で、雑巾絞ったり、洗剤の蓋を開けたり…でも、そんな時は副交感神経の関連なのか痛みを感じずに過ごすことができます。
家で痛い痛いと言ってます。
親指の第二関節がクッキン!ってなってあいたたた…となるわけです。
両手の親指。でも右が特にひどい。

ちょっとでも楽になり、いつしかあれっ?痛まないってなりますように!




本日の旧約聖書

「囲まれる」という言葉について…
もし私たちが罪責感や恨み辛みに「囲まれて」いるならば、その人から良いものは決して流れてきません。このような人の心は痛みが多いことでしょう。しかし、主の特別待遇の恵み、主に愛されている喜びに「囲まれて」いるならば、その人から流れてくるものは、人をいやし、明るくし、生きる喜びを与えてくれます。

その結論がこの詩のこの節の数節後に記されています。

「悪しき者は悲しみが多い。 しかし主に信頼する者はいつくしみで囲まれる。」(10節)と。






本日の新約聖書
「なわめと苦しみ」…これは新改訳ですが、なんとなく柔らかい綺麗な表現というか、今日の箇所の前半、23節はクリスチャン用語オンパレードです。この部分に関して口語訳はもっとダイレクトにわかりやすいかと思います。
「ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ。」(23節)
新改訳であまりピンとこないところを他の訳で読むと「なるほど」と思えることはあります。
でも、私は全体的に新改訳第三版が好きです。2017年度版の新改訳は嫌いです。笑

本題に入ります。
かつてはキリストおよび、キリストにつく者達を酷く批判し罵るだけにおさまらず、残忍な迫害をしていた、自称「罪人のかしら」パウロが、聖霊にあって完全に変えられ、ここでは、謙遜の限りを尽くして人に仕え、困難の中でもブレずに主イエスを信仰している姿が伺えます。
死をも覚悟した上での本物の信仰を貫き通す姿勢…それは、今後いかなる凶暴な狼が教会を荒らすことがあっても神の御言葉が教会を守ることを確信として持っているからです。パウロ自身が教会を荒らす側であったがこのように神の言葉で変えられたという確信からくるものです。

私はクリスチャンになってパウロのような劇的な変化はありません。しかし、謙遜に仕える姿勢で大胆に福音を語ることは見習っていきたいと強く願います。私を強くしてくださるお方によってどんなことでもできる!そう確信し期待しながら…