ユニコーンに乗ってが最終回だった
小鳥さんの言葉は時にぢんさんのことばのように聞こえて不思議だった
(私だけかも…?)



なかなかとれないお金のブロック
コバさんがこんなブログを書いていた




心屋では

「損してもいい」って

ワードに出くわすことがある


これって新しいことにチャレンジする
ときに出てきやすい

そこに費用がかかるなら
なおさら


お金と時間をかけて
手間も暇もかけて


家事の手をぬいたり

仕事を早めにきりあげたり

友達の誘いをことわったり


家事のてをぬいたら
家族になまけてるって思われそう


仕事を早めにきりあげたら
やる気のないひとと思われそう


友達の誘いをことわったら
薄情なヤツと思われそう


まだ家族や同僚や友達に
言っていないなら
それは


妄想です


私は必ずここに気持ちがやってきてしまいます。


そして


時間もお金もかけたのに
成果が出なければ
評価されなければ


意味がない


ましてや

失敗したり批判されたりしたら

やらなきゃよかった


損した!



こんな思いにかられる



でもね


このほんとうはやりたいけど
我慢していること

批判や失敗を恐れて
一歩踏み出せずにいること


それでもやろう!
っていうときに


損してもいい


って呟いてみるんだと思うの。



今まではバーゲンセールの
黒のジャケットとパンツを
スーツ代わりに着てたけど


上下のセットアップで丈も巾も
自分に合わせて誂えたら
(この丈や巾を採寸されることが体型にコンプレックスがありずっと避けていた)

今までの倍以上の額がかかったけど

そのスーツで挑んだ仕事では
自分でも驚くほどの成果が出た


倍の値段もかける必要があるのか?
とか
すぐに着られなくなるかも?
とか


そんな思いにかられたけれど


今になってみれば

悩んでいた時間が
無駄と言う人もいるだろう

結果はスーツを買う前には
わからないのだ
誰も知らない


もちろん活用する前提で買うのだけどね


それだけで全てがうまくいったわけではないし


体型が変わってしまえば
入らなくなることもある

修理や直しが必要な時もあった

そこも含めて
楽しみたかった

ずっと気になっていて
やってみたかったことで
欲しかったものだからた

その仕事を離れた今では

一歩踏み出せたことが
自分の中の自信に近いものの
一部になっているのかもしれないし
なっていないのかもしれない


ただあの時のあの感覚に


損してもいい

っていうのは似ているように感じた
のでした





もう十年以上前のお話です




さて


今の
私がめんどくさっ
と感じていて
損したくないことは
なんだろう



↑もうすでに及び腰だわ…


相変わらずまとまらない文章で
申し訳ないですが


今日もありがとうございます