もう四年ほど前のこと。
実家の、ナショナルの洗濯機の調子がおかしくなった。
(2016年12月頃洗濯槽交換の時の事。洗濯機のカタログに私が記していた。’21年8月28日追記。)
この洗濯機は、母が病に倒れる前、よろよろとしか歩けない母に私が付き添って、近くの電気屋さんに行って買ったものだ。
(母が亡くなる前年の3月上旬。’21年8月28日追記)
洗濯をしてくれる人がいなくなってからの親は、自分の衣服はお風呂に入った時に手洗いし脱水も手絞りでしていて洗濯機を使わないが、私は無いと困る。
親に相談してから、洗濯機を買った電気やさんに連絡した。
買い換え か 修理ということになった。
修理にきてもらっても直らないこともあるとのことだったが、親に確認すると修理を望んだので、電気やさんから、メーカーの修理やさんに連絡してもらった。
修理に来てもらって無事直ったのだが、修理の人が食卓に座っていた親に請求書を見せても、親は黙って動かないまま。
普段、他人に対しては取らない行動だ。
(今思えば、親にとって修理の人は、家族同様に遠慮がなくても構わない相手だったというところか)
びっくりして私が促しても、親は硬い表情で黙ったまま。この時の場面は忘れがたい。
仕方ないので、親には「月々払ってる食材代のお金から、今日の修理代引かせてもらうね」と断って、私がなんとか持ち金を集めて、相変わらず居間の食卓に座っていた親の前で、修理代を修理の人に渡した。
修理の人を見送ってから居間に戻って親に訊くと、「自分は洗濯機を使ってないから」とのことだった。
この時は、私も、今よりも考え方が浅はかだったので、キレながら親に反論した。
私がぶちキレながら言ったのは、
洗濯機はこの家の物であって、この家の大家が使わないからといって、私が壊した訳でもないのに修理代を出さないのはおかしい、
私が洗濯機の使い方を教えても使わないのは親の勝手だが、家のマットとかカーテンとか、お客さん用の布団の物だとか、洗濯必要な時はクリーニングやさんに持っていってくれるんやね?!
といったことだった。
ケンカの結末は覚えていないが、いつもの通り、私が怒るのを見て、親の怒りがおさまるといったところか。
この時の修理代の領収書はまだ持っている。
領収書には、結局、翌月の親への食材代から修理代を差し引いて払ったことをメモしてある。
(食材は、親が週に一度宅配を利用するので、私は親と一緒に週末に食べる分を注文している)
私も忘れっぽいので、忘れた頃に親があることないこと言ってきた時に反論する証拠として、また、洗濯機がまた壊れた時に同じ轍を踏まないように、との思いもあったから領収書を残していたが、見ると気分良くないのは確かだ。
捨ててスッキリするか。
が、親の、相手が弱った時にあら探ししてくるのは天性のものとしか言いようがないくらいで、壁になってくれていた母が病に倒れてから何度やられたことか。
過去を、また繰り返したくない。
堂々巡りの思いで、捨てる決断が鈍ってしまう紙切れ一枚である。